2021.09.22(2-p.150)

今朝配信のオムラヂはON READING でのイベントの後半の録音で、そこでも話しているのだけれど僕の今の読書テーマの一つはゾンビだ。ゾンビといえばなんですか、という僕の問いかけに青木さんはブードゥーですかと即答してくれたが、そう、ゾンビといえばブードゥー。ブードゥーといえばハイチ。そう言うわけで今日は『ハイチの栄光と苦難』。史上初の黒人共和国の成立をもたらした一八〇四年のハイチ独立は、小さくて弱いものが客体に甘んじることなくみずから主体性を奪取した事例である。この独立により起草された憲法では、アメリカに六〇年先んじて奴隷制の廃止を明記した。既存の強者の特権はますます保護され、周縁に追いやられた多数は恒常的な無力感のなか人間扱いさえされないまま搾り取られる、そういった構造的不正を是正するのは、道義や倫理を説く強者による論理の徹底ではなかった。それは圧政に対する弱者の叛逆から始まったのだ。

黒人奴隷制の歴史上最初の廃止は、奴隷制を持ち込んだヨーロッパのイニシアティヴによってではなく、支配と抑圧のもとにおかれた黒人奴隷たちを担い手とする一大民衆革命の所産として実現されました。ハイチ人たちは、奴隷制のもとで搾取と抑圧を甘受し呻吟しつづける客体ではけっしてなく、自らの意志によって自らを解放する主体的存在であることを、厳然たる事実をもって示したのです。これほど劇的なかたちで、周辺世界にあって支配され収奪されてきた民衆のエネルギーの爆発が中枢世界を突き動かし、さらに進んで自らの国家を樹立するに至るといったことは、歴史上、他に類例を見ない空前絶後の出来事です。

(…)

私にとって感動的だったことがもう一つあります。「ハイチ」という国名です。「山の多い土地」という意味のこの国名は、先住民であるタイノ・アラワク族の言葉に由来するのです。残念ながら、建国にあたってこの国名が採用された経緯は定かではありません。しかし、旧宗主国フランスに由来する言葉ではもちろんなく、黒人たちの故地アフリカに由来する言葉でもなく、はるか二五〇年以上前の一六世紀中頃には絶滅させられてしまっていた先住民の言葉が国名とされたことの意味の深さを読みとるべきでしょう。ハイチ人は、自らの尊厳と同時に、絶滅させられた先住民の尊厳をも、その建国の大義としたのです。

浜忠雄『ハイチの栄光と苦難 世界初の黒人共和国の行方』(乃水書房) p.22-23

国名に刻印された絶滅させられた先住民の谺。引き剥がされたアフリカの土地に土着していた精霊信仰が、遠くカリブの島で強制されたキリスト教信仰を呑み込んで成立した、その発生からして両義的であるブードゥー教。カリブの植民地政策を正当化するための方便としてのカニバリズムというレッテル。三角貿易の重要な一点として、近代的世界システムの成立のグロテスクさを表象する国。ゾンビのイメージには西洋中心の近代が必然的に抱える欺瞞を暴くような歴史の層が幾重にも重なっている。

ハイチの基礎の基礎を学べて、初めの教科書として正解だった。このあとは立野『ブードゥー教の世界』を読むつもり。最近ちくま学芸文庫でゾラ・ニール・ハーストンの本も復刊されたらしいが、これは『ゾンビ最強完全ガイド』でこっぴどくディスられていた。僕はハイチを面白おかしいオカルト的好奇心で掘りたいのではなく、むしろそのようにハイチを消費することで安心しようとした西洋人の心性に興味がある。自分たちで徹底的に毀損した「人外」としての先住民や黒人たちに西洋人が投影した不安や罪の意識のあり方──あるいはその不在──に興味がある。古今東西の奴隷制というものについて調べてみると、人権を持つ「人間」というものの定義がそもそも広くもなれば狭くもなるという歴史上の事実に突き当たる。この国の経済政策の醜態や、入管での殺人など、愚劣な犯罪ののさばりを思えば、「人間」の範疇が実は限定的なものであるという事実は現代においてもまったく他人事ではない。ゾンビは、人間を人間扱いしない愚劣さの暴露でもあり、そうした愚劣さを安心して消費できる滑稽な表象として矮小化することでもある。告発と黙認の混在。ゾンビは我々のカリカチュアであるという陳腐な物言いの射程は、その陳腐な第一印象よりもずいぶんと深い。ゾンビの両義性を考えることは、日々不正を黙認しその不正な構造によって日々の安全や安定を得ながら、その不正に対して心底憤る僕らのあり方を問い直すことでもありうるのだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。