2021.09.23(2-p.150)

行き帰りの電車で『ハイチの栄光と苦難』を読み終える。昨日は栄光、今日は苦難。1958年のギニア共和国独立を決定づけたセク=トゥーレの「隷属の下での豊かさよりも、自由の中での貧困を選ぶ」という言葉に表れているように、ハイチの独立は「自由のもとでの豊かさ」には程遠かった。帝国の膨張、グローバルな資本主義の論理に巻き込まれ、ハイチの独立は「自由の中での貧困」に陥り、その打開策として経済合理性を追求した結果自らその自由すらも棄損するような政策に邁進することになる。ハイチの独立は、すでに一国の動向が緊密に結びついた各国の利害に影響を及ぼす時代において、表面上のものでしかありえなかったのだ。ハイチはゾンビのように、孤立し、簒奪され、無害化された「しみ」のようなものとして周縁化されたままだ。ラ・ボエシが見出した自発的隷従をここでも思う。今だって僕らは、「自由のもとでの豊かさ」を目指してもがいたハイチへの連帯を示さず、隷属のもとでの豊かさを選び取り続けた側にいる。

二年ぶりくらいの池袋で、しかし池袋に用事があるわけでもない。とにかくあまり馴染みのない土地を奥さんと歩きたかったのだ。強いていえばラシーヌのフレンチトーストが食べたかったがもちろん混んでいたので諦める。奥さんにとって池袋は庭だ。僕が心細く歩くなか奥さんは我が物顔で闊歩していくから二人の足並みが合わなくてくたびれる。シアターグリーンの近所の芝生の綺麗な公園に入っているラシーヌ系列のカフェでフィッシュ・アンド・チップスを食べる。夏の日差しだ。涼しくなったと思ったらすごく暑くなったり、大学一年生での初めてのお付き合いみたいな振れ幅の大きさと安定のしなさだ。天気が初々しい面倒臭さで疲れる。ジュンク堂を覗く。椿屋珈琲で休憩しながら、今日はもうダメかもしれない、最近二人で出かけても疲れるばかりでいまいち楽しくない、どうしたらいいんだろう、とどんどん悲しくなってくるが、奥さんがお金をじゃんじゃん使っているところが見たい、服を見に行こうと僕が言っていたのを奥さんは覚えていて、これから服を見に行こうと言った。奥さんと服を見に行って奥さんが服を買ったためしがない。奥さんは何を着ても似合うとは到底言えない。奥さんはとても小柄だ。低身長骨格ストレートに似合う服などない、と言わんばかりだった。奥さんの洋服選びに対する無力感はただ未知のものへの忌避感ではなく、何度も打ちひしがれた上での諦念だった。だから今日は私は何も判断しない、あなたが入る店を決めて試着する服を決める、それだったら私は今から服を見に行ける。そう言うので僕はカフェインを流し込んで奮い立ち、パルコへと向かった。下の階から店店をチェックしていき、有無を言わさず着ているところが見たいなと思った服を着てもらう。どれもとてもよく似合う。今朝から「低身長 骨格ストレート 服」で検索し続けた僕の見立てが素晴らしいというのもあるが、ほとんど試着以前のところで心が折れてしまう人をちゃんと試着室まで連れて行ければだいたい楽しく着れるのだ。最終的には着た本人の気分が上がればそれが似合う服だ。結局きょうは二軒で三着のお買い上げ。奥さんが楽しくお金を払うところを見れて僕も満足。奥さんは興が乗ってきたのかルミネも見ることにして、閉店間際までいろいろ物色したがこちらは特にときめきはなかった。心地よい疲れで帰宅。夕食時にはほとんど僕は寝ていた。一万五千歩。帰り道、また二人でおしゃれして出かけるのが楽しみだね、と奥さんが言って、この人は素敵な人だな、と思った。人間の素敵さはこうして定期的に手をかけていかないと、すぐにくすんで愚痴っぽくなってしまうから、別に今日のようにお金をかけなくてもいい、とにかく小さな楽しさや嬉しさを大事に大事に絶やさないようにして、きみは素敵、素敵に値する人間、ほら素敵、と励ましていくほうがいい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。