2021.09.27(2-p.150)

今回の台風は真下からのろのろと這い上がるように北上してくる。ずっとつらい。だらだらと不調が続く。今朝も起き上がれない。ようやく縦になって仕事を始めると奥さんが、見事なチベスナ顔だね、と苦笑した。日中の記憶はない。仕事をしながら『ふしぎの海のナディア』を流していて、がんばれ、がんばれ、と自分に対してなのかジャンに対してなのかナディアに対してなのか唱えていた。サンソンとハンソンがいい大人で、子供をちゃんと子供扱いする大人はほんとうに格好がいい。僕はこの男たちが好きだった。飛行機が飛んだ。二人が子供達のために本気で怒ったり喜んだりする姿になんだか泣きそうにすらなった。ネモ船長は声帯に騙されそうになるけどかなりやばいと思う。ナディアの幼いが故の苛烈さが眩しい。自分の原理主義的な物言いがブーメランのように自分に返ってくることをまだ想像もしないような年頃だけが持つ鋭さ。

寝込む。夕食を食べている間表情筋が硬直していて同居人を怖がらせた。

「ZINE アカミミ」にも寄稿してくれた水辺のヌエさんがリツイートしていたブログ記事を読んで、久しぶりに生活を考える。というか『プルーストを読む生活』の感想を見るたびに考えていたことだった。一〇代の前半をほぼ日やダカフェ日記を浴びて育ち、自分でも「生活」を看板にする本を作ったりしているくらいだから、僕は心地よいパーソナルスペースへの自閉の甘い魅力をとても強く自覚しているし、正直抗いきれていない。それでも、自らの生活を執着するに足るものとして構築していくことは、クソみたいな現状への抵抗の足がかりともなりうる。生活に執着するのは現状を黙認するためではない、こんなんでは足りない、と贅沢を求める自尊心を得るためにこそ生活をやっていくのだ。そういう気持ちでやっている。しかしこれもまた、なんだかんだで恵まれた境遇にある自分を慰める欺瞞にすぎないだろう。

それでも、という矜持を、どのような行動で示せるか、いつまでも迷っている。「生活」のささやかさを愛でようという優しく魅力的な提案の主が誰も彼も「金持ち」であることにやるせなくなる。そんな暢気な優しさを信じられなくなるほどに、国全体として貧しくなって切羽詰まってる現実を前に優雅に日々を飾っているだけで安心していられるわけがない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。