2021.10.13(2-p.166)

寒くて雨が降っていた。紀伊国屋書店の階段を降りていると、なぜだかそれらしい香りが漂ってきた気がして、ハヤシライスが食べたくなった。目当てのランチのお店が閉まっていて、べつのお店になんとか気持ちを切り替えて雨の中歩いて行くと食べたいメニューは品切れと看板にある。このくらいのことで「え、こんなに何もかも上手くいかないことってある?」と絶望しそうになる。刈り上げた後頭部が冷やされて頭痛がする。先ほど買った本が重たい。大振りの傘も重たい。さすがに絶望は言い過ぎだけれど、途方には暮れる。立ち尽くすわけにもいかず適当に雑居ビルのあいまを歩いていくと、ランチの看板がひっそり出ており、ハヤシライス(コーヒー・紅茶つき)とあるではないか。もう機嫌は治りました。夜はライブバーか何かなのだろう。地下で開け放された防音扉の向こうにはテーブルが二、三と、カウンターがあって、壁面には酒瓶よりもレコードの方が多い。タッパーから取り出して温め直すハヤシライスはちょうどいい気張らなさで、そうそう、こういうのがよかったあ、とニコニコする。食後のコーヒーを啜りながら──これも美味しい喫茶店の味だった──買ったばかりの『tattva』の三号を読み出す。いつもの巻頭の武邑光裕の連載に『日常的実践のポイエティーク』が引かれていてなんだか嬉しくなる。好きな本のことはなんだか友人のように感じてしまう。巻頭言まで辿り着いて、昼休みは終わりそうだった。トイレのポスターはストーンズ、清志郎。ずっとデヴィッド・ボウイがかかっていた。ロックという世界観が、たしかに僕は好きだったな、と思う。今でも化粧をした煌びやかな男たちの姿にうっとりすることもある。気がつけば、60年代とは半世紀も昔なのだ。半世紀前の彼らの勇敢さやお茶目さや素敵さが、ようやく当時よりは多少は背伸びをしないまま花開き出しているように思えることも増えてきた。残念ながらというかむしろ当然のこととしてそれは、自分の生き様をロックだとかに同一化したがるダサい奴らとはかなり遠いところで起こっている。

退勤後の電車と、夕食後の浴槽の中で、『何もしない』を読み終える。散歩に出かけたくなるいい本だった。この本はビジネス寄りの自己啓発本コーナーに置かれていたけれど、それだったらもっと原題のハウツー本への茶化しを残したタイトルにしてもよかったのに、と少し思う。

奥さんと三日ぶりくらいに「月姫」を遊ぶ。どんなところだったっけ、と状況を思い出しながら新しい一日を始めると、なんの選択肢も出ないままにどんどん恐ろしい事態になってそのまま終わってしまった。ひどい! と二人で笑う。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。