シネフィルへの憧れ

「海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020」というものにお誘いいただいた。

発起人の藤ふくろうさんのブログはいつも楽しいし、誘われるのはなんだって嬉しいことなので、やりますやります、とお受けしたのはいいのだけど、僕はガイブンってなんなのか、あんまりよくわかっていない。

たぶん早いところでは、きょうくらいから『プルーストを読む生活』という本が出る。
これは僕が一年くらいかけて、井上究一郎の翻訳でマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を毎日少しずつ読みながら毎日書いていた日記が本になったもので、すごくいい本なので皆様どうぞよろしくお願いします。
とにかく、藤ふくろうさんも「挫折した海外文学選手権」で「挫折ガイブンの王道」として挙げる、とにかく長い、で有名な小説を毎日コツコツ読んで読了するくらいだから、さぞかしガイブンに一家言ありそうだ、と我ながら思う。でも、『プルーストを読む生活』を読んでいただければすぐにわかることだが、僕はとにかく本を読むのが好きなだけで、ガイブンが好きなわけではない。ただ、だらだらいつまでも読んでいられる本が読みたくて、とにかく長いもの、ということでプルーストを手にとっただけだった。なんなら今だから白状するが、読み出してすぐに気がついたのだけど、僕がとにかく長い小説、としてざっくり思い描いていたあらすじは、ジョイスの『ユリシーズ』のそれだった。僕はジョイスと間違えてプルーストを始めたのだった。

そんなふうだから、僕にとってはプルーストもほかの楽しい本と同じように楽しい本だっただけで、ガイブンとして読んでいたわけではなかった。でも、ガイブンに詳しい人たちには、音楽狂いやシネフィルなんかと同じくらい憧れがある。なんか、舶来物に詳しいのって格好いいから。
たとえば新宿の紀伊国屋書店本店の二階の海外文学コーナーに行くと、ぜんぶがぜんぶ装丁からなにからぜんぶ格好がよくて、三階の上りエスカレーターを降りてすぐのコーナーみたいに野暮ったい本とはなにからなにまで違う感じがする。実際価格もちょっと高級で、それも格好いい感じがする。
高校時代、みんなと同じようにRadiohead にはじまり、周りで聞いている人のいなさそうなThe Breeders やらDeerhoof やらを聴き込むようになった。その方が格好いいと思ったからだ。大学時代、クストリッツァとかカネフスキーとかを観て大好きになった。その方が格好いいと思ったからだ。舶来の、そしてほとんど誰も知らなさそうなものを知るのはすごく格好いい感じがした。

でも、すぐに気がつく。音楽にせよ、映画にせよ、そして文学にせよ、日本でも楽しめるということは、翻訳が出る程度の資本力のあるマイナージャンルなのだ。
そして、資本力があるということは、マイナーとはいえ、かなり多くの人が知っているということだ。みんなが知らないものを知っているのは格好いい、という自意識は、なんか色々間違っていた。

なんでミステリー好きとガイブン好きはすぐ名乗りたがるの?

いつだか奥さんがそう言った。たぶん最初は、知らないものを知ってるぜという勘違いから、アピールしたくなるのだと思うけれど、だんだん、何処かには必ずいる同好の士と交信したいみたいな欲望がやってくるのではないだろうか。いいものは独り占めするよりも、誰かと共有したくなるものだから。

奥さんはこうも言っていた。

そもそも、ガイブンって洋楽聴いてんじゃなくて洋楽の和訳聴いてるみたいなことじゃん。

さらには、洋楽の和訳とは要するにグッチ裕三だ、とも言った。よくわかる。

ガイブンを読む楽しさは、グッチ祐三を経由してQUEEN を聴くことに似ている。翻訳された文章とは、誰かが他者の文章に夢中になり、もっとその文章を知りたいと思い、もっともっといろんな人と共有しようと願い、他者の作品と誠実に格闘した痕跡なのだ。翻訳者という読み手の熱狂や興奮や喜びを経由して、僕たちは作家の作ったモノに触れる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。