いまは二十三時五〇分くらい。夕飯をお腹いっぱい食べたらすごく眠くなってしまって、二〇分だけ、と言いながら横になり、この時間だ。なんとなく付き合って隣でごろごろしていた奥さんもそのままうとうとしていたらしく、ついさっき二人でもそもそと起き出してきて、なんだかすっきりしちゃった、と言い合いながら水をすごい勢いで飲んだ。僕がおもむろにMacBook を開くと、奥さんは、えっと弾んだ声を出して、もしかして日記を書くの、と小躍りを始めた。
奥さんにとってこの日記は日に一度のエンターテイメントだ。また、僕がこれを書いている間は赤棒という、なんか自分で自分の脚をめちゃくちゃ揉める棒で脚のむくみを入念にすりつぶす時間ということになっていて、僕が日記を書くと楽しい読み物ができるだけでなく、足までスッキリして気分がいいので奥さんにとってはいいこと尽くめだ。
こうしてはんぶん外に向けて開かれた環境で日記を書きだしてから、僕は明確に奥さんという読み手を想定している。べつにだからといって奥さんに向けて書いているわけでもないし、奥さんに知られたら不都合なことも書かずにはおれないから、想定ってなんだろう、とも思うが、しかし、他者が確かにこれを読むのだという意識が、書くときにあるかないかは結構重要なんではないかと思っていて、誰に読まれたい文章なんだっけ、であるとか、読んでいる間その人にどんな状態になっていて欲しいんだっけ、みたいなことを自然といつでも意識しているというのは、ひとりで書き編み発表する姿勢としてとてもヘルシーだと思う。
僕はなるべく奥さんやそのほかの読んでくれる人たちに、リラックスしていて欲しいし、なにかが解きほぐされたり、問いがぽんと浮かんできたり、なるべく気持ちのいい変調が訪れたらいいと思っている。すくなくとも嫌な緊張感や、偏った断定口調でこわばらせるようなことは絶対にするまい、と思っているが、毎日のことなので、失敗もあるかもしれないけれど、そもそもなんのために書いてるんだっけ、というところを見失わないで済むから、日記を楽しみに目の前で小躍りしてくれる人がいてよかったな、と思う。