2020.12.22(1-p.365)

今年の年末は静かそうで、世間並みに正月っぽいことするかあと思いグレーバーの『負債論』を読み出した。グレーバーのくどいくらいの過剰さと、ほっこりしたユーモアが好き。ざっと見渡してみたら本編は六〇〇ページくらい、全体の三分の二くらいで、それならいけるな、と思う。分厚い本というのは、最初のいける感が大事というか、どのくらいの気合いと時間が必要そうか、見当違いであっても見当がついていると取り掛かりやすい。グレーバーは『官僚制のユートピア』は厚さに比べると速かったので、今回もそんなに身構えずに始められた。そしてやっぱり読みやすい。ここまで平易にひらいてくれているから、こんだけ長くなる。グレーバーに関しては厚みは親しみやすさだった。

    

いきなりすごく今更なことを言いますが、『MISSLIM』ってすごい名盤なんじゃないか。深夜喫茶しんしんしんでは、その名の通りはっぴいえんどのレコードが格好よくかかっていたが、同じくらい格好良かったのが荒井由美で、この三日くらいはっぴいえんどか荒井由美かだ。どちらも日本語だから本を読みながらは聴けない。FGO はいまクリスマスで、とにかく時間を虚無に溶かすことで報酬系を刺激される遊び方を要求してくる。なのでそうやって時間を無為に溶かしながらナイアガラ・サウンドという言葉になんとなく憧れがあるが、これらはそれにあたるのだろうか、などと考えていた。この時代の日本の音楽を、ちゃんと掘りたいなと思えてきた。来年の目標だな。この時期はなんでも来年の目標にしとけばいいからいい気なものだ。何度でも書いている気がするし実際書いているのだが僕は年末年始が嫌いだ。勝手に改めないで欲しい。いつものように日付が変わるだけですべてのものごとは相変わらずに最低だったり最高だったりそこそこだったりするだけだ。勝手に区切って勝手に仕切り直して勝手に爽やかな気持ちにならないで欲しい。

それでも、と思う。加齢のせいか、この数年暖冬が続いていたせいか、めっきり冷え込む今年の冬が非常につらい。こんなとき、クリスマスの人工的な灯りの暖かさ(の表象)や、冬至を過ぎればあるいは年を越せばという待望の気持ちは、わりとちゃんと救いにもなりうるのだということが、身に染みてわかってきたようにも感じる。

そうでも思ってないと、やってらんないね。寒いと、なんか気分も塞ぎがちだし、そのくせ体を動かすのも億劫だし、だから体はどんどん硬くなるし、縮こまってるから肩も凝るし。どこかの旅館で三食おんぶに抱っこで、大きくて熱いお風呂に出たり入ったりしたいものだ。そういう過ごし方がなによりも贅沢に感じるようになる。ちゃんと老いていく。そうやって陳腐化していくことにあんまり安心しすぎるのもよくない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。