2022.08.02

またポメラのことを考えている。万年筆や野帳のように、書く道具というのはいつも心惹かれる。しかもポメラはガジェットでもある。道具と玩具の中間にあって、だから魅力的だ。しかしキーボードを使うとき僕は少なくとも2000字は書きたいのであって、そうなると広い画面が欲しい。この時点でポメラは不利だ。よっしゃと思えばマックブックを開いちゃうし、Notion はスマホからはメモ、パソコンからは書き物の道具になるからとても便利だ。キーボードが使いたくても使えないシーンといえば外出先だが、電車やバスでは本を読むのだし、外ではだいたい奥さんといるのだから二人で遊ぶだろう。そうなると一体いつ、キーボードが使いたくて使えないシーンがあるだろうか、と考えて、風呂だ、と思い当たった。ポメラは風呂で使えるだろうか。一日の終わりに近い時間、ゆっくりと湯に浸かってだらだらと日記を打鍵したいということは何度も去来する考えだ。防水機能の付いたポメラなら買いたい。つまりそうでないポメラは要らないということだ。しかし今だって防水なわけではないiPhone を風呂に持ち込んでフリック入力しているのだから、おしゃかになるならせめてポメラのほうがまし、という考え方もある。であればひとつ前のモデルを中古で手に入れて遠慮なくがしがし使うというのはありな気もしてくる。多分買わないのだけれど、こんなに考えているのだから欲しいということなのかもしれない。欲しいから欲しい理由をあれこれ考えるが、考えていても欲しい以上の必要は何も出てこない。これをジャンプできる時とそうでない時の差は、そんなに明確ではないが、たとえば価格だ。二万までだったら目をつぶって跳べる。それ以上は躊躇っているうちに勢いが削がれてしまう。

先月末の振り込みが少なくて、給料ではない、本屋さんからの振り込みだ。先月はそんなに出荷もしていないのだから当然といえば当然で、スプレッドシートを確認すると「支払い待ち」のもの自体そんなに多くはない。順調に在庫がはけていくタイミングではこれ以上営業するとすぐに増刷しないとだな、とセーブしていたのだが、そろそろなんとかしないとこのまま動きがないままかもしれない。初動というのは重要だし、難しいな。そしてそこから先のほうが長く、大切で、難しいのだろう。本を売る筋肉が衰えているというか、いまは本を売る気持ちが萎えているのかもしれない。気持ちを盛り上げるには本を作るのがいいのだが、作るためにも売らないといけない。売れたら売れた分だけを元手に作れる。元手というのはお金もそうだし、意欲もそうだ。凪のままでは動きようがない。ただじっとしている。そういう時間のほうが気分は穏やかだったりもするが、だからこそ物足りなさもある。自分はどうやって遊んでいたのだっけな。昨晩も奥さんは遅くまで仕事をしていて、寝るまでの一時間ほどの時間、二人でどう遊んだものかわからなくなって戸惑った。これまで何してたんだっけ。なんだかずっと疲れていて、こんな調子じゃそりゃこの人と一緒に遊びたいとも思えないよな、と思う。元気を出したい。いや、そこそこ体は元気になってきたのだが、気力が追いついてこない。どうしたものか。だましだまし体は動くが、気持ちは止まったままだ。楽しいことも、面倒なことも、やる気がしない。やる気がしないまま行為は続き、楽しい用事はやはり楽しく、面倒なタスクは一応片付いてはいく。だがしかし、ぽっかりと空いた時間に、にこやかでうきうきと、とまではいかなくても、平熱で楽しさを感じるなにものかに取り組むというのができなくなっている。これは結構、困ったことだ。

昼休みに家電量販店のガチャガチャコーナーを冷かして、蟹蟲修造監修のアメフクラガエルとソバージュネコメガエルの1/1 スケールを発見。これを探していたのだ。奥さんにslack で報告し、喜び合う。両替してさっそく回すのを実況中継的に写真に撮ってSlack 。蓄光フクラガエルだ! 奥さんと相談し、もう一度。もう完売も多いらしいし、じっさいここの残りもあと三球くらいだ。五枚の百円玉を投入し、ハンドルを回す。蓄光ネコメだ! 満足して、あ、いま楽しかったな、と思う。千円でわくわくが買える。この二年、正確には719日──FGOの連続ログイン日数だ──のあいだに、ガチャという文化に染まり、僕は絶対に競馬とかパチンコしてはいけないな、という思いを新たにしたのだった。競馬なんて、ブコウスキーになってしまう。偶発性、いや、より無味乾燥な乱数に身を任せること。高確率で無為に終わるその行為は、その虚しさも含めて救いだ。なにも得られなければ、空虚な今が続くだけだし、もし当たったならば、その瞬間だけは大きな快感を得られる。ほんの一時だとしても、久しく感じられない晴れがましさがある。その一瞬を求めて、無駄骨を折り続け、お金と時間を垂れ流す。ぼくはそういうの、けっこう好きというか、助かるようなのだ。

そういえばハンドスピナーも欲しいんだったが、玩具コーナーのどこを探せばいいかよくわからず断念。ハンドスピナーはふと思い立って欲しくなった。時流にようやく乗ったというわけだ。すでにその流れはないのだが。ハンドスピナーで調べていると面白いツイートがあって、そこにはこうあった。世には意識が二つくらい並走するタイプの人間がいて、片方でたとえば人の話を聞くなどのタスクを処理しつつ、もう片方で手元の玩具をいじったり、本を読んだりと別のことをする。これは器用ということではなくて、二つが並走している状態が安定なので、人の話をじっと聞かなくてはいけない、というようなワンタスク状態の場合、手持無沙汰なもう片方の意識が行き場を失い多動気味になり、その騒がしさにタスクに割いているほうの意識まで引っ張られてしまい結局話の内容が頭に入ってこないようなことになる。これは実によくわかって、僕は奥さんと大事な話をするときは常になにか他ごとをして気を散らしているが、それこそが奥さんの話を真剣に聞くために必要なことだった。最近のぼんやりは手がさみしいというか、一個のタスクしかないような状態だからかもしれなくて、手元でなにかを弄んでいたいらしい。そこでハンドスピナーなのだが、そういう道具をフィジットトイと呼ぶらしい。fidget。もじもじそわそわ、あるいは、いじくりまわす 。とにかく多動性の向き先としての道具ということだろう。今、それが必要だ。脳を適切な忙しさに保ちたい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。