愛用しているリュックの開閉部の縫い目がほつれて穴が開いてしまった。けっこう高い買い物で、まあでも十年くらい使うからいっか、と思っていた。まだ六年くらいしか使っていない。子供の頃は背が伸びたり人格が変わったりするから、毎年のように服や小物を買い替えるのは当然のことだった。身長も性格も安定したところで、ものは長く使うものになった。僕も奥さんもいまだに大学生の頃の公演Tシャツをパジャマにしているし、奥さんに至っては高校の文化祭スウェットをまだ使っている。高いものを買えばずっと使える、という幻想を持っていたが、じっさいに大人になってみるとものはすぐにくたびれ、壊れる。服も、靴も、リュックも、ほんの数年で買い替え時がくる。消耗品でないものなどない。どんなものでも、買い替え時がくる。僕が大きくなったわけでも、好みが変わったわけでもないのに、ものの方が先にだめになる。僕はいまだに、このことに納得がいかない。一度買ったらもう買いたくない。高いものでもダメなのだ。いや、むしろ安物にかぎって図々しくいつまでも壊れなかったりする。わけがわからん世の中だ。移ろいが早すぎる。もっと、堂々とマンネリに居直り、平気で相変わらずなものがたくさんあったほうがいい。
『HUNTER×HUNTER』は休載のおかげで巻数もそこそこだし、そのくせ長く続いているからそれもいい。ずっと続いている『ONE PIECE』もえらいが百巻を超えるとそれはもう物語として長大すぎる。これで寅さんみたいになっていればまだしもいまだに展開に驚きがあるのだから勘弁してほしい。長い物語は内容がないほうがいいに決まっているのだ。充実したまま長いと、たいへんだ、読むほうも。人は物語をいくつ並走させられるのだろう。いまジャンプ+で『正反対な君と僕』、『チェンソーマン』、『ダンダダン』、『放課後ひみつクラブ』、『マリッジトキシン』あたりを追っていて、でも『HUNTER×HUNTER』を読みだしてから他の作品を読む気がなくなって今週のジャンプ+はほとんど追えていない。僕の中で物語が占めることのできる上限を、ほとんど『HUNTER×HUNTER』がもっていっている。僕は並行して何冊も読むが、小説は一度に一冊と決めている。というかそうとしかできないのだが、漫画はそういえばこれまで何作も、しかも週間や隔週の細切れで追うことができていたのはどういうことなのだろう。何個ものものごとを並行して進められるというのは現代社会においては歓迎されるスキルだが、つまりはそれぐらいつまらないものであるということで、ひとつに集中できる方が豊かに決まっている。ふだん散漫な僕の意識を掴んで離さないだけの重力を持つ作品に出会うと、ああ、僕はこんなにもひとつのことに集中できたのか、と驚くが、しかしそれは僕の力ではない。