今日はわりあい余裕のある労働だったので、合間合間に実話怪談を読んでいた。『煙鳥怪奇録 忌集落』を読み、『暗獄怪談 憑かれた話』を読み終えた。竹書房怪談文庫はKindle Unlimited で次々に手を出せるのがいいし、なにより一時間弱で読了できるのがいい。さいきんは読み通すことに拘らないのが上手になってきて、臆せず重ための本をゆっくりゆっくり読んでいくことが増えた。その日その日の読みたいものを読んで、たとえ八割ほど進んだところであっても平気で何ヶ月も放っておくような読み方がメインになってきていて、それはそれで楽しいのだが、一冊を読み通す快感というのもやはりあって、実話怪談はそういう一冊読んだぞという愉悦をお手軽に得られるから気分がいい。怪談はやっぱりいいな、と勢いがついて、帰りの電車でも電子のライブラリに積んでいた『花筐』と『みみざんげ』をちゃんぽんしていた。そうやって浴びるほど怪談を読んでいて、ふと思い出したことがある。怪談ではない。幼稚園に通っていたくらいのころ、綺麗な人だな、と惚けた知らない女性のことだ。
その女性は黒のドレス姿で、ゆるく巻いた髪も、目元の化粧も真っ黒だった。叔母の結婚式で、新郎新婦の入場を待つあいだ、見知らぬ大人たちが賑やかに歓談しているなか、幼い僕はしゃちこばって座っていた。その人は会場を出てすぐのロビー、窓際に置かれた椅子にひとりで座っていて、そろそろ始まるからあのお姉さんに声をかけてきてあげて、と父親が悪戯っぽく僕にうながしたから、おそらくすでに僕は彼女に見惚れていたのだろうが、記憶はこの父親からの催促から始まり、それ以前はなにも覚えていない。どきどきしながら会場の重たい両開きの扉を開けて、大きな窓から街を見下ろせる明るいロビーに出た。どうやらホテルの高層階のようだ。その窓の前に、ぽつん、と腰掛け俯いている頬には長い睫毛が影を落としている。幼い僕はおずおずと、あの、そろそろ始まるみたいです、と声をかけた。ゆっくりと顔を上げて、ありがとう、とにっこり微笑みかけてくれる、その笑顔に僕はつま先から頭のてっぺんまでビビビ!と嬉しさが駆け抜けていくのを感じた。
記憶はこれだけだ。僕は年上のお姉さんに憧れがちな幼稚園児で、いちばん恋をしていたのはこの頃だったと思うのだが、あれほど焦がれるような憧れを感じたのはこの人だけだった気がしている。親戚でも、両親の友人でも、先生でもない、まったく知らない世界に住む大人の女性というのが初めてだったのかもしれない。結局その後、この人と話すこともなかった。たとえば叔母の友人だったとして、なぜなんの関係もない僕が声をかけに使わされたのだろうか。会社の同僚や、大学の同窓生であればその仲間たちがいたはずだ。だから、単純にほかに共通の友人がいなくて心細かったのかもしれない、といまとなっては思うが、当時は結婚式の浮かれた雰囲気の中、ただひとり物憂げに佇み、カラスのような艶々したドレスを纏ったその人を見て、僕は、この人の孤独がわかる、というような気持ちになっていたように覚えている。年齢一桁の人間のくせに、いっちょまえに孤独をわかった気でいたということだ。じっさい、わかっていたのだろう。パーティーの群れに混じってひとりぼっちでいること。そういう態度への親しみも、このころにはすでに芽生えていたのかもしれない。
感覚は鮮烈なわりに、曖昧模糊としたこの記憶について誰かに話したことはないと思う。だからいつまでも子供から見た世界の狭くてそのくせ底の見えない手触りがそのままに残っていて、その人の印象も、ほとんどそうした手触りそのものとしてある。こうなってくると、もはや見知らぬ誰かに憧れているのか、自分の子供時代に憧れているのか、わからなくなってくる。はっきりとした、それでもどうにも掴み所のない不定形な記憶。この足下の定まらなさに、僕は怪談に近しいものを感じている。