2023.02.23

昨日はけっきょく飲んで帰って寝たのが二時過ぎとかだったから起きられるかどうかがいちばんの心配だった。はたして時間通りに目が覚めて、余裕綽々二度寝までしてのけたのだから恐れ入る。コーヒーを淹れて、肉体の軋みを感じる。買ったばかりのパーカーとイヤーカフでおしゃれして、いつもの眼鏡と帽子でじぶんを柿内正午として飾り立てる。箕輪さんにいまの似顔絵を描いていただいた時から、僕は意識的にじぶんの存在を虚構に寄せていくというか、積極的に胡乱な存在を演じることを決めていて、表層的なキャラクターになりたいと思っているところがある。それは奥深さを予感させるためではなく、表層だけでもじゅうぶんに複数的であり把握できないほどに複雑でありうるということだった。奥さんと一緒に家を出て、途中の駅で奥さんは自分の週末を始めに出かけていった。僕は電車のなかできょう喋るであろう内容について考えをまとめておくかと目論んでいたのだけれど、けっきょくずっと無心になってFGO の周回をしていた。

本屋lighthouse に着いて、開店前のお店に入っていくのはすこし緊張する、鍵はかかっていなくて、関口さんにこんにちは、なんか打ち合わせとかいらないですよね、そうですね、と開演の三〇分前でも弛緩しきっていて、何を話すんだかわからないでいて、会場参加者は五名くらいとのことで案外いらっしゃる、それだけいれば塩梅よくおしゃべりできるんじゃないかな、と安心するうちにさっそくRyota さんが来店、ぬるぬると人が集まってきて、よく皆さん開店前のお店に堂々と入ってこられるものだな、その勇敢さに新鮮に驚きながら、お店の奥のスペースに車座で座って五分押しくらいでイベントが始まると、予想に反して僕も関口さんも喋る喋る、よくそんなに喋ることがあるものだ、参加者の皆さんと話し合いましょう、べつに沈黙の時間があってもいいじゃないかと前置きしておきながら一時間強ふたりで喋っていたのではないか、そしておそろしいことに二人とも何を喋っていたのだか、終演後すぐであってももう思い出せないでいたのだから楽しくやりとりしていたということだろう、終盤である一人の学部生の方が発言してくださった。いまこうして人文書を読むことで維持している自分は他人とは違うのだという自負と、とはいえ「ふつう」に就職してお金を稼ぐ同年代の友人たちを羨ましく思う気持ちと、どう折り合いをつけたらいいんだろう。そのような問いで、僕も関口さんも先輩面して調子の良いことを得々と語ったことだろう。僕はそこで気持ちよくこんなことを言った。いま悩んでいるようなこと、実存的なモヤモヤみたいなものは、社会に出て忙しくしているうちに薄らいだりなくなったりするのだと期待したり恐れていたりするかもしれないけれど、安心してください、たぶん死ぬまでずっとそのままうじうじ悩み続けますから。僕はあとで気が付いたのだがこれはそのまま一〇代のころ父親から言われた言葉の受け売りだった。残念でした、と父は言ったものだ。いま感じている孤独や懊悩というものは、死ぬまでついて回るのだし、周りの大人がそうしたものと無縁の何も考えていないように見えているとしたら、その大人たちはあなたの年頃からしてすでに何も考えていなかったのであり、いますでに考えてしまっているということは一生考えていくということなのだ。僕はそれをほとんどそのまま、見ず知らずの学生さんに横流ししていた。継承、ということを思う。

終演後モスバーガーでRyota さんと遅めのランチを食べながら、メンターさながらに今後の柿内正午のありかたについてご指導いただく。僕はとにかく言語偏重で、なにかにつけて理屈っぽい。しかもその理屈を自分の生活の周辺に引き寄せて構築してしまう。外を向いていたとしてもアウトプットの段階でいちど自分という触媒を通して色をつけてしまう。とくだん内向きというわけでもないのだが、対象と一定の距離をとりつつ描写するような外交的な書き方では決してないから、「これこれについて書いて欲しい」みたいな依頼原稿はなかなか来ないだろう、だから諦めて柿内正午というブランドを作っていくほかないのだ、そのような内容で、あまりに的確なので、ああ、いい友人をもったなあ! と頼もしくなるし、この人の周りに人が集まるのは当然のことだなとなんだか嬉しくなる。きょうのイベントのタイトルが「死ぬまで生きるぞ、えいえいおー!」だったから、Ryota さんは宮竹貴久『「死んだふり」で生きのびる 生き物たちの奇妙な戦略』という本を、これは今日という日じゃなかったら絶対に手に取らないからなあ! と愉快そうに買って帰っていった。僕は店名の由来だと教えてもらったジャネット・ウィンターソンの小説と、どこにいっても2しか見つからなかったマルジナリアでつかまえるやつの一冊目と、台湾がいかにナショナリズムと民主主義のジレンマを折衝しつつ孤立無援状態に立ち向かっているのかを問うみすずと、共和国の「よそもの」を受け容れるドイツの思想的土壌を巡る本とをほくほくレジ打ちしてもらう。これだけ買っても二万円いかないのだから本って安い。本はまとめて買えば買うほど安くなる。これは単なる錯覚なのだが、同程度に事実でもある。

忙しく立ち働く関口さんとおわかれして、奥さんと合流。しこたま飲んで酔っ払う。ふたりとも、それぞれの最高の休日を過ごせてよかったねえ、と打ち上げのような気持ちでうきうき飲んで、楽しくなって、深夜のファミレスでパフェやぜんざいを食べながらだらだらドリンクバーで粘る遊びをした。柿内さんはいつもごきげんですね、それに励まされるというか、大人になっても大丈夫だと思えます、そんなようなことを、すでに酒で萎縮した脳が夢見た形に都合よく誇張したり脚色している感じがなくはないが、先の学部生の方が言ってくださって、たいへん嬉しかったというか、卒業時に立ち上げた劇団のコンセプトが、就職して演劇を辞めるか、就職を諦めて演劇を続けるかという視野狭窄はなはだしい疑似の二択に悩まされているのが腹立たしくて、たかだか就職で制作は止まらねえよという気概であったことを思い出していた。劇団は正直この数年は停滞しているのだが、そのぶん日記や文筆で当時の自分がやりたかったこと、後輩たちに伝えたかったことを体現しているのだとしたら、なんというかこの一〇年はあながち失敗でもなかったのかもしれない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。