2023.03.21

年々、どうやって遊んでいたんだかわからなくなるね。奥さんと毎年のように話す。昨晩も話していた。気がつけば美味しいものを食べるかお芝居を観に行くかくらいしか遊びのバリエーションがなくなっていて、とにかく毎日遊んで暮らしていたような時期にじっさいどのように遊んでいたのだったか、たしかにわからない。

おしゃべりしてたんじゃないかな。

奥さんはそう言って、それはたしかにそうだと思われた。それじゃあこんどおしゃべりしに出かけようか。深夜の公園のベンチとか、駐車場の自販機の前とかにさ。そう応えながら、僕はとにかくおしゃべりが好きで、それは空間的にも時間的にも空隙にはまり込むようにしてなされるものであったことに思い至る。このようなすきまはお金を使えば手に入るというものでもない。

応答されることを目的にすると途端になんも続かなくなる。ポッドキャストも日記も、コツコツ続けていてもほとんど反応はない。それでも構わないから続いているのだけれど、返事があったほうが嬉しいに決まってる。制作とか活動において、他人からの応答はおやつ。切実な必要はないけれど、あるとすごくいいもの。

作ったり考えたりするのが喜びでそれを継続していくために反応があったほうが便利なのであって、ただの手段に過ぎない反応を目的とするとだいたいおかしなことになる。反応だけなら簡単だからで、たとえば誰かの足を踏めばいい。内発的な喜びでなしに外からの実利だけを効率良く収穫しようとすると、しぜん易きに流れて粗暴で下品なものが蔓延る。作ったり考えたりするのが嬉しさや楽しさで、それを継続していくために反応や報酬があったほうが便利なのであって、ただの手段に過ぎない反応を目的とするとだいたいおかしなことになる。

退勤後に奥さんと外で合流して、コンビニでお菓子を買った。日の暮れた河川敷に腰掛けてだらだらとおしゃべりをする。さっそく有言実行というやつだ。伏線回収だね、と奥さんに言うとキョトンとした。忘れていたらしい。川を眺めているのはいい。川縁には釣り人と、動画配信者がいて、後者はヒロアカのアニメのエンディングに使われていそうな曲を上手に歌っていた。投げ銭をもらったようで、お礼を言って配信を終えていた。それからも暗がりのなかでしばらく歌い続けていた。レパートリーは一、二曲らしい。公衆トイレの電気のスイッチが見当たらなくて真っ暗な個室で用を足しながらあたらしいほうの『ハロウィン』を思い出していた。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。