新幹線に乗ってる。『浜へ行く』を読んだから、車窓からの風景を見る目がすこし変わっている。雨でけぶっているので視界はずいぶん手前の方で途切れてしまう。三島というのは静岡といってもほとんど東京で、トンネルをいくつか抜けるだけで四十分とかそこらで着いてしまうし、連日の夜更かしでうとうとしていたからほとんど何も見えていなかったかもしれない。とにかく灰色だった。佐々木敦『未知との遭遇』をすこしだけ読み進める。
到着して改札を抜けたところでふたり待っていて、たいへん久しぶりのはずなのになんでもないことのように声をかける。ドトールでコーヒーを買って車で待つ。この駐車場は三〇分は無料だという。二分前に出て、そのへんをぐるっと回る。ロータリーに戻ってきてちょうど到着したもう一人を拾うことができた。四人が揃うのは何年ぶりなのだろうかと話していたけれどどうも定かではない。高校生のころが最後だったとしたらもう十五年くらい経っていることすらありえる。組み合わせを変えてそれぞれとは会っていたりするから余計によくわからない。こう考えていくとありがたみが湧いてくるようで実感としてはそうでもなく昨日までの続きのような平熱でおしゃべりが続く、というか、ともかくみんなよくしゃべるのだった。丘の上の集会所で英語を習っていた三人は小学校からだから四半世紀の付き合いで、先生とも二十年。小学六年から中学三年までのあいだの毎週木曜日に集まって、英語の勉強もそこそこにとにかく喋っていたのだし、近所のサークルKやバローへおやつを買いに出かけたりしていた。てんでばらばらの三人の関心に先生はよくついてきてくれたし、小学生レベルの悪ふざけにも一緒になってはしゃいでくれた。これは先生が大人だから僕たちに付き合ってくれていたわけではなく、先生自身が大人になっても子供と同じ目線ではしゃげる稀有な人だっただけだったのかもしれない、分別の多少ついた大人になったいまになって考えるとどうもこっちがほんとうらしい。雨でさえなければこの辺におっきく富士山が見える、と手振りをつけて教えてくれる先生は今年で古希とのことで、とにかく運転中にも構わず手振りを加えてしまう悪癖は相変わらずひやひやさせられる。うなぎを食わせる店があちこちにある。三島大社の桜は大降りの雨でずいぶん散っているようす。沼津魚がし鮨というお店に連れて行ってもらって、まぐろのにぎりの食べ較べに手巻きや天ぷらがついてくるセットに金目鯛を追加したものをみんなでそろって頼む。新聞の折込チラシのクーポンでお安くなるらしい。折込チラシを久しぶりに見た。たいへんおいしく、店内の温暖さもあいまってとても眠たい。
それから高所へとあがっていって、右手に見えるのがね、がんセンター! と紹介される。観光名所じゃないんだから、とつっこむと、あのね、あそこの最上階に食堂があってね、そこから富士山が望め流わけなのよ、とのことで、ほんとうに観光名所だった。クレマチスの丘に至って、ベルナール・ブュフェ美術館に行く。ビュフェという人を僕は知らなくて、寿司のあとに食べ放題とはと一瞬思ったのだが賢く見られたいので黙っていた。黙っていてよかったと思う。キュビズム的な線画というのは、日本の版画や漫画の延長線上に見るととくだん違和感がないのだが、西洋画において輪郭をくっきり線で描写するというのはいつからあるものなのだろうか。バンド・デシネのようだと評された話がキャプションにあったが、『タンタンの冒険』が1920年ごろからだったはずで、このころのそういう漫画的表現の立ち位置も気になる。戦後まもないころの色や線の緊張はたいへんかっこうよく、成功して羽振りがよくなってからは明らかに明るくなっていく。47年から48年にかけての絵がやはり特異で、二度目の結婚後はとにかく模索の集積で、いちど方法を更地にしてもういちど立ち上げ直す素朴な迫力がある。僕がもっとも惹かれたのは、ほとんど性器の透けるような薄手の生地で作られたローライズな水着を着た男たちがお尻の割れ目をはんぶん露出させながらビーチバレーに興ずる絵で、試合を見物するギャラリーには女性もいるのだが曲線に乏しく顔立ちもほかの無表情の男たちとほとんど見分けがつかない。とにかくこの絵は男女問わず全員おなじ顔をしていて、あまりの相同っぷりにギャグ漫画のような可笑しささえある。きょうの空のようなすっきりしない光の中でとくだん楽しくもなさそうに、徹底的に快活さや躍動感を損なうかのように描かれるこの絵の中では、とにかく男たちの肉を削ぎ落とされた貧相な体の直線の色気だけが強調されている。この絵のかけられた部屋によって二度目の結婚の前後が対比させられているのがたいへんに皮肉だった。ふらっと寄っていくくらいだと思っていたらしっかりと見て閉館時間ギリギリまで滞在した。たいへんくたびれる。
それから先生のお宅にお邪魔して、先生がこれまで以上に活力に溢れていて嬉しくなった。ああ、いまはいい環境に自分の身を置けているのだな、となんだか安心してしまって、これはなんだろうな、じんわりとした気持ちになる。七匹の猫たちのうち半数は顔を見せてくれた。名古屋から越してきた猫には見覚えがある。庭の木蓮が白く浮かび上がっていて、そこからも甘えたような猫の声が聞こえてくるがこれは喧嘩をふっかけにきたよその猫だったらしい。『プルーストを読む生活』も買ってくれていて、ふざけたサインを入れさせてもらう。本のあいだに押し花が挟まっていてこれもなんだかとてもいい。三人の生徒はそれぞれに活動を続けていて、それぞれのやっていることをそれぞれに誇らしく思う。夕飯はサイゼリヤ。僕たちのサイゼリヤ初体験も、もしかしたらこの四人でのサイゼだったかもしれないね、と話が出る。確かにそうだったような気もしてくる。ドリンクバーもそこそこにまた話し込んで、駅まで送ってもらう。僕はせっかく静岡まで来たからと名古屋に帰省するつもりで、中間地点くらいだと思っていたのだが大間違いだった。三島から名古屋は遠い。名古屋に帰る友人と一緒に新幹線に乗って、地下鉄に乗って、団地の桜を見上げながら丘の上にまでいくと二十年前四人が集まっていた集会所が見えてくる。このあたりの景色はほとんど変わっていない。夜更けにこのあたりでうだうだと喋っていると自分のなかに蓄積したり漏れ出たりしていった時間の質量がそのままここにあるような気分がやってくる。記憶というのは個人ではなく空間に宿っているというか、僕が覚えていなくてもこの場所が覚えている。
日付が変わる頃に実家に帰ってくる。静岡っていっても三島はほとんど東京だったわ、と話して両親に呆れられる。さっさと寝るはずが喋っていたら一時を過ぎて、おやすみなさいと部屋に引っ込んでからも日記を書き出してしまったものだからもう二時ではないか。