母が八時前に出勤するというのでがんばって七時半には起き出してお見送りする。こんな時間に体が縦になっているのはいつぶりだろうか。コーヒーを淹れてトーストを焼く。抹茶のペーストを塗ったくって食べる。ゴミを出しに行くと集積所がどこにあるのだが忘れていてすこし焦る。お昼まで時間があるという父とたっぷりおしゃべり。きのうON READING で母に強く勧めて買わせた『いつかたこぶねになる日』を見せたら、これはいい、こんなにひらがなにひらいているのに意図をうるさく感じさせない、などと言いながらしばらく読み込んでいて、ぱらぱらと斜め読みしては気になった箇所を行きつ戻りつ試していくというように、人が本をどのように見て読むかというのを眺めているのは面白い。僕は明治期の実業としての文学みたいな話やら最近の関心ごとについて話して、本づくりの今後の展望なども聞かれた。お金の心配をいかにしないでおくか、というような話には頷くばかりで、毎日を静かに過ごしているとささやかなことの喜びがとても大きく感じられる、外食もたまにしかいかないから一回ごとになにものかである出来事であるし、たとえばいつもと違うスーパーに行くだけでも充分に楽しい一日になる、などと言うので滝口悠生の『長い一日』の話もした。オオゼキのくだりを喋っていると僕まで嬉しい気持ちになってくる。これは母にはひみつなのだけれどお昼はひつまぶしに連れていってもらいました。
自転車に乗って仕事に向かう父と別れて、電車に乗る。寄り道をするか迷っていると、ちょっと話しかけてもいいですかの、と老人に声をかけられる。もちろんですよ、なにかお困りですか、と応えると鶴舞公園にはどう行けばいいのかというので、それなら僕は昨晩行ったからわかるぞと張り切って教える。千種からJR が早いですよ、と伝えると乗り換えが不安そうだったので、じゃあ僕も千種で降りますから一緒にいきましょうか、ということになる。きくと名古屋へは六十年ぶりに来たそうできょうはクラス会があるのだという。昔は東山公園までしか地下鉄もなくてね、などと面白い話もきかせてもらう。別れるとき、楽しんできてくださいね、と声をかけたのだけどどうにもしっくりこない。Have a nice day. これはしっくりくる。よい一日を、ではどうも気障すぎるし、などとどうでもいいことを考える。このように人のせいにして千種での途中下車を果たしたので、仕方がないな、という顔でちくさ正文館へ。老人に声をかけられたとき僕はすこし焦っていて、小指にはめていた指輪がいつの間にかなかった。実家におき忘れたのだろうか、ここから引き返すのはだるいな、などと思案していたのだがひとまず忘れることにしていたのを思い出して、手前の公園のベンチでリュックをひろげて中身を一個ずつ出していくと底の方に転がっていたので安心した。荷造りの最中に外れてしまったのだろう。取りに戻らずに済んだし、なにより引き返して見つからず結局リュックに入っていたとなってはがっくりきてしまうからここで落ち着いた行動を取れたのはえらかった。
ちくさ正文館は右側の入り口から入って人文コーナーだけで充分だった。ソローキンの二冊が当たり前の顔して置いてあって頼もしい。『シュークリーム』があったのでこれを買い、『明治革命・性・文明: 政治思想史の冒険』というのと、『毎日あほうだんす』というのが気になったので買うことにする。とくに『毎日あほうだんす』はすごそうだ。寿町にやたらと読書をする日雇い労働者がいて、このドヤ街の哲人を何年にもわたって追いかける民俗誌のようなものだという。エリック・ホッファーじゃん。知らない本と出くわすのほんとうに愉快だ。来てよかったな、やっぱりこのお店が大好きだな、と思う。レジで『送別の餃子』ありますかと訊いてみるが切らしているとのこと。それであれば一駅引き返すかたちになるけれど今池まで五分もかからないしウニタ書店もかるく覗いてみようと向かうと「中国」の棚にちゃんとあったので餃子を手にとり、「新刊」にあった見田宗介の論壇時評の本も一緒に買う。何年も前の論壇時評をいま読んでどれだけピンとくるかはわからないけれど、目が合ってしまったなら仕方がない。ずいぶんと大荷物になって、きのうのON READING での本も手に下げているのだから当然で、さっさと電車に乗って名駅へ行き、まっすぐ切符を買ってホームに来ていた新幹線に乗った。すぐ走り出して、四車両くらい時速300キロ弱の塊のなかを時速3キロくらいの速さで逆向きに歩きながら四車両くらい突っ切って自由席を目指した。指定席がずいぶん混んでいたから心配だったけれど無理なく座れてよかった。内田百閒の「漱石先生臨終記」を読む。列車の下りがしみじみいい。昨晩も寝付かれなくって気散じに読んだ寺田寅彦の「どんぐり」を読み返して、昨晩と同じように奥さんに早く会いたくてたまらなくなる。併録のコーヒーにまつわる漫筆と中谷宇吉郎の解説も読んで、いっそう会いたさが募る。すこし離れたところで妻に先立たれる本を読んでいるときがいちばん奥さんへの気持ちが盛り上がる。
だから夕方に帰って奥さんの顔を見たときは嬉しかった。奥さんも寝れなかったらしい。寝かしつけてくれる人がいないとついつい夜更けまでゲームをしてしまうし、それで頭が興奮して寝れる気がしなかった、いつの間にかあなたがいないと生きていかれない体になっちゃった。そんなことをいうのでじゃあ一緒にお昼寝しようかといって横になったのだけど、いざ隣にいると僕は小旅行の話をしたくて堪らずついつい話し込んでしまう。ひととおり話し終えたあと、じゃあそろそろね、と電気を消すとあっという間に深く眠って、目が覚めると遠出してべつの土地の感触の名残りを引きずっていた体は元に戻っていて、もうすっかり自宅に馴染んでしまっていた。