2021.01.22(2-p.16)

「おまえはその永遠の再生とやらを支えるほんのわずかな証拠でも見せることができないだろう。一方、おまえの厭世観は非現実的だよ。どんなことにせよ、欲しがらないようにするというのは、失望しないための一番確かな方法だし、宗教を苦痛抑制術に変えてしまうのもうまいやり方だ。しかしローマ人なら、幻滅を味わうのを覚悟の上で、欲望を満足させたいと思うだろう。たとえ狼に生まれ変わるとしても、鋭い牙と勇気をもつ狼に生まれる可能性が残されているからね。 おまえたちのような世界の哲学者は、太っているほど価値がありそうだから、ガチョウのように扱うべきだよ。喉に漏斗でうまい餌を詰め込んでやれば、フォアグラに生まれ変わるんじゃないかな」

ユベール・モンテイエ『ネロポリス』羽林泰訳(中央公論社)下巻 p.88 p.202

こう言いながらカエソは自分の家の奴隷、菜食主義者の仏教徒である痩せこけた奴隷をタベルナの屈強な男たちに羽交い締めにさせて、無理やりフォアグラを胃の中に突っ込む。帰宅後あわれなこの奴隷は盛大に吐きまくる。金策に苦労している父親はそれを見てなんで奴隷なんかにフォアグラ食わせてんだ! と憤慨する。地獄。

もうずっと地獄で、しかしたしかにローマで男性で市民であるという人たちにとって、ローマという国は確かに楽しい場所であっただろうと思わせる描写で、キリスト教的なモラルは徹底的に非常識なもの、変態的なものとして扱われるのが楽しい。すっかりキリスト教的な道徳が蔓延る近代と比較して、ローマ的な享楽のほうがましだとは言わない。どっちも地獄だ。古代社会も近代社会もお互い異質ではあるが必ず割りを食う人たちがいて、そういう人たちが徹底的に虐げられている限りその世は地獄だ。地獄を読むのは楽しい。どうしようもなく。しかし『ネロポリス』は延々と昼ドラみたいな情念のこじらせを見せつけてきて、いいかげん胃もたれしてきそう。

  

昼間に駅前の居酒屋にお弁当を買いに行ったら、今回はお弁当はもうやらないらしく、ふつうに昼から飲んだくれてる人たちの相手に専念していた。そっか、と思う。プラの食器とか切らさないように書い続けるのとか、大変だもんな、客が切れないならその方がいいよな、と思う。しかしまったく誰のための何の宣言なんだか。

  

たらたらと仕事をして、合間に『裏世界ピクニック』を見る。アニメはリアルタイムで追っかけると面白いかどうかの判断を焦ってしまう。大体のアニメは勢いで五話くらいまとめてみないとあんまり判断できないから、完結してからまとめてみたほうがいい気もしてきた。けれども毎週なんとなく配信日を待つというのが今はしたいみたいだった。一週間のリズムが欲しい、ということだろうか。最近FGO のイベントだとか、そういう定期的に供給のある娯楽が生活の楽しみの少ない部分を占めていて、こういうのはひとつの救いだよな、と思う。なんか待ってたら配られて、浴びるように楽しめばいいもの。それは特にそうでないものと較べてどうとかでなく、そういうものとして楽しい。

『ダブル』という漫画を読んで凄かったから、たぶんあとでKindle で買う。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。