きのうお昼を待ちながら奥さんと本屋ロカンタンの萩野さんの記事を読んで、あのお店は自室だったんだねえ! と話していたからその夜に『プルーストを読む生活』についてツイートしてくださっていたのではしゃいだ。「あらゆる行間にマドレーヌ状の何かが炸裂」というところが奥さんは妙に気に入ったみたいで、寝つくまでに三回くらい、マドレーヌ状の何か、と声に出して言ってみていた。マドレーヌ状の何か。
寒すぎて布団からなかなか出られなかったし、出ても特になにも動きはなかった。『ネロポリス』が終わって、下巻は早かったがそれは上巻で仕込まれるローマの風俗への解像度がすでに充分上がっているからこそ説明されないままにローマの感性や制度を織り込み済みで読めるからこそで、未知の古代社会を懇切丁寧に描く上巻こそ読むのは大変だったしネロも出てこないけれど面白かった。じぶんの知らない、じぶんのために書かれたわけでもない世界について、読むのは楽しい。
青くいつでも自分をのけもののように感じ続けていた一〇代の頃なんかは自分のために書かれたかのような物語への没入を切実に求めていたようにも思うが、いまとなってはむしろ物語にどれだけのけものにされるかを楽しみにしているようだった。だからといってなにか迎え入れてもらえたという気持ちもなく、むしろ何にも迎えてほしくない。加齢とともに孤立感はいっそう強くなるが、孤独というものがつよがりや背伸びの対象ではなくありふれたものになってきたということだろうか。
いただいた「H.A.Bノ冊子」の最新号を読む。「山學日誌」がとうとう長くなりすぎて「続きはWEBで」方式になっていて愉快だった。相関図にはZINE 版一巻の表紙の絵を模した姿で入れてもらえていて嬉しくなる。
さいきんは日記を書くときBig Thief を聴いてる。