2024.02.08

きょうこそ熱を出してしまいたい奥さんのために午前中にポトフをつくっておく。圧力鍋の圧力がかからず首を傾げていたら弁を開けっぱなしだった。ぽんこつ。弁を閉めて七分測ってくれた奥さんは加味逍遙散だかなんか体を冷ますものを服んだ直後に葛根湯を投入しており、ばかの漢方使いだね、と笑って布団に潜り込んでいった。僕はチケットを忘れたりカメラを忘れたりなんだったりで玄関とリビングを四往復して、きょうはだいぶぼんやりしているなと思いながら出かける。けっきょく出すべきクリックポストを忘れた。

秋葉原のロイヤルホストで松井さんとランチ。久しぶりにお話ができて嬉しかった。猫型配膳ロボットは子供たちに大人気で、配膳をロボットがしてくれるとごきげんさが段違い、お子様ランチのおまけにもなっているという話を聞いて、遠くない未来、幼少期の原風景として甘やかに思い出されるロボットたちのことを想像してしんみりする。楽しい打ち合わせののち、二人して大まじめな顔で平くんの行く末を心配し、その流れで漫画や仮面ライダーの話をしてから解散。僕は隙あらばプロレスの話を持ち出す妖怪でもあった。

東京ドームではテイラー・スウィフトが歌うらしい。テイラーの客層はめいめい自分が素敵だと思う装いで決めて、目がキラキラしているので見ているだけでにこにこしてくる。楽しい夜になるといいね。僕は初めての後楽園で初めてのFREEDOMS。めちゃ楽しかった。何も知らない余所者のくせに思い切って最前のチケットにしてよかった。

会場の床面に敷かれたビニルシートは最初からキラキラしていた。これまでの試合で粉砕された蛍光灯の欠片だ。細かすぎて掃除しきれないのだという。隣の席の常連さんがあれこれ教えてくれる。僕は声がよく出て大きな口で笑う選手が好きなので、タッグマッチでは杉浦透とレッカに目が行った。ふたりとも可愛い。素直に応援したくなる。シングルマッチはどれもすごく面白くて、真っ赤な血が惜しみなく出る。葛西純はやっぱり華があって、ユーモラスな愛嬌もある。見ているだけで痺れた。血塗れで縺れ合う巨体たちを眺めていると、セクシーだな、と惚れ惚れする。精通前のエロチックな興奮、社会からの意味の付与を必要とせず、ただ体を玩具として扱うようなきもちのよさがやってくる。誰も彼も、盛り上がってくるとわざわざ自分で剃刀や竹串を額に押し付けて血を流す。まったく無駄な自己破壊。意味になることもなく、ただ顔面を格好よく赤く染める。それこそが意味なのだと言われたら、は? としか言えない。でもだからこそひょえ〜と悲鳴に限りなく似た笑い声をあげてしまう。楽しすぎる。おれはここまで自分を痛めつけることができる、というナンセンスな示威行為。相手と共に壊れていく快感。頬や脳天に金ピカの画鋲を光らせた男たちがお互いに叩け付け合う蛍光灯の破片がびゅんびゅん飛んできて、それらを浴びてキャッキャとはしゃいだ。飛沫になった蛍光灯はしばらくリング上を湯気のように曇らせる。

リングのぐるりを囲むセコンドたちの動きも機敏で格好よかった。弾け飛ぶ有刺鉄線や飛び散る画鋲、それらが役割を終えるとさっと身を乗り出してリング上から除去していく。蛍光灯が飛散する気配を察知するや身を挺して壁となり観客への直撃のリスクを最小化する。試合の裏方として仕事をきっちりこなす彼らは、さっきまでリング上で体を痛めつけていた選手たちなのだ。試合後、ジャリジャリ破片を踏みながら退場すると、物販にも立っていた。すごい。

お風呂に入ると寒暖差で背中がチクチクして、どうしても細かい破片が刺さっているんじゃないかという感じがする。胸のあたりもジンジンしてきて、これはニキビだった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。