昨日は遅くまでありがとうね、と母からLINE がある。奥さんの体調も案じてくれる。そして文末にはこうある。今日の孫代表スピーチもお願いね。すっかり忘れていた。今日は母方の祖父母のお祝いで親戚一同でお食事会がある。祖父は米寿を迎え、祖母もそろそろ誕生日なので、久々に全員集合して盛大に祝おうじゃないかというわけだ。奥さんは引き続き欠席となってしまったけれど、いつの間にか倍近くまで膨れ上がった親類が一堂に会するというのはすごい。孫たちが就職してからはなかなかこうはいかなかった。それだけでも嬉しいことだろう。今回は母がスライドショーの編集やそれを投影するためのプロジェクタまで用意しているし、おじは子代表のスピーチをするといった形でかなり本格的だ。そこで僕は孫代表としてスピーチを頼まれていたのだった。行きの電車でiPhone のメモで原稿をざっくり書く。まずはとにかくエモーショナルに、演出過多なくらいの甘々な文章を書いて、じっさいの持ち時間は三分くらいだろうから、湿度が高く足腰が弱い部分から容赦なく削って千字程度にまとめる。親類の前で読み上げる原稿というのはどうしたって照れくさい。ものを思い、書くということのどうしようもない恥ずかしさがまるまる突きつけられる経験だ。だからこそ、その恥ずかしさを押しのけてでも発声するべきであると思い込めるだけの強度がある言葉だけが残る。僕はこの日記も真っ先に奥さんに見せるし、両親も読んでいるから僕が引っ越すことも日記で先に知ってしまうほどだが、だからこの日記はどれだけくさいことを書いたとしても、家族に読まれても平気な顔をしていられるものとして書かれる。書くというのは、どこかでくささやダサさや恥ずかしさを引き受けるということで、僕の場合は普段の日記からして親類の前でおおむね平気で朗読できるだろうが、それでもやはり抵抗はなくはないだろう。というか、明確にその人たちに向けて書くものでさえ恥ずかしいのだ。このような照れは、非常に大切なものであり、手放してはいけないものでさえある──これは今月の『新潮』の山崎努と山下澄人も言っていた──、いつまでももじもじしていてもどうしようもない。照れたまま、必要な恥知らずを押し通す勇気を助けてくれるのがユーモアであることを、こういうときつよく実感する。いつだって、このくらいの恥ずかしさを覚え、それをいちいち乗り越えていく勇敢さをもってものを書くべきなのだ。
そんなこんなで道中の半分の時間で原稿を書き上げ、のこりの半分は文芸誌を読んでいた。『すばる』だったと思う。食事会は和やかでいい時間だった。瓶ビールを一本開けてふわふわいていたけれど、スピーチもたぶんちゃんと読めたはずだ。もう一本ビールを開けて、半分くらいは弟が飲んだ。両親ときょうだい達で、そのへんの適当なベンチに屯してもうすこしだけおしゃべりする。それから解散。夕飯の支度をしなくちゃなと思っていたけれど、もうだいぶ復調した奥さんがリハビリがてらありもので作るというので切らしていた料理酒やトマトジュースだけ買って帰る。だいぶ元気になったようでよかった。洗い物をしているあいだにスピーチの原稿を読んでもらう。露骨に褒めて欲しそうな顔をしていたからか、褒めてくれた。あなたが書いたお芝居を思い出した、と言われ、そうなのか、と思う。人に発声させられる言葉というのは、たしかにまたべつの照れと恥知らずがあった。
お風呂のあと録音もできた。文芸誌の話をするつもりがプロレスの話に終始する。