ごろごろしていたら寝落ちてしまうというのを繰り返していたらすぐに十九時でちょっと信じられなかった。朝は七時半に起きたというのに。午前中に『今日よりもマシな明日 文学芸能論』を読み終えて、それから九時まで二度寝した。お昼ご飯はじゃがいもとツナのガレットで、思いつきでサバ缶のユッケもつくって素麺に絡めて食べる。講談社のKindle Unlimited ラインナップを確認しながらだらだらして、講談社というのは大きな組織だな、現代新書のなかでも硬軟あるし、選書メチエのよさそうなものにまじってフライデーの写真集がばんばん出てくる。世の中にはいろんな本があって、そのほとんどが僕には関係がない。読まないであろう大量の本の中から自分のためのものを探り当てるというのは本屋もそうなのだが、しかし本屋は『天然知能』や『「怪異」の政治社会学』、『近代日本のナショナリズム』を見つけるまでの間に「爆乳×台所」みたいな惹句が目に飛び込んでくることはない。世の中には読まないどころかその存在も気にかけることのないような本が大量に生産されている。それとおなじくらいたくさんのおっぱいが、馬鹿みたいなキャッチコピーを添えられて並んでいる。そのような無関係が、同じ会社から流通しているということにくらくらする。さいきんはプロレスラーの胸筋ばかり眺めているから、そのような写真集が見当たらないことがだんだん奇妙なことに思えてくる。ジェフ・コブの写真集にキャッチコピーをつけるとしたらどうだろうか。写真集文化を通過したことがないことに気がついて、いくつかダウンロードして眺めてみた。たぶん体を魅力的あるいは扇情的に撮り撮られる技術の蓄積があるのだろうが、そのような知見を読み取る目ができあがっていない。あまりいい構図とは思えない、この照明はどうなんだ、というようなことばかり思う。もっと綺麗に撮れそうなものなのに。おそらくここには別の美意識がある。それを感受できない。向いていないのかもしれない。そんなことを考えながら、また寝てしまっていた。
夕食は豚肉とセロリとキクラゲの炒め物。奥さんの実家の味とのことだが、これまで登場したことはなかった気もする。おいしい。食後にスーパーで明日に向けた買い出し。日が暮れて涼しい中、満腹で向かうスーパーは余裕があって、このような動線はかなりいいかもしれないなと思う。お腹を空かせて行くスーパーはこなすべきタスクになってしまう。腹ごなしがてらのそれは遊びだ。
シャワーを浴びて、ふたりで『奇天烈相談ダイヤル』を始める。雰囲気はかなり好きな感じ。家のパソコンだと動作がややもったりしているけれど、なかなか楽しい。オペレーターのバイトのことを思い出す。あれは独特の緊張感とリズムがある。不思議と絶え間なく鳴り続ける電話の忙しなさと、一件一件に対応する果てしなさの、相反する時間感覚の同居。臨時の雇い仕事だったので数日のことだったが、あれは面白かった。だんだん対処する回線の向こうの相手がマニュアルの手順通りに動作する何かのように感覚されてくる。おそらくナンパ師や結婚詐欺師にとっての恋愛というのはこのようなものなのだろうなと思う。不安になるほど誰も彼もが決まりきった反応を示す。そこにあるのは関係ではなく、入力と出力の動作チェックだ。さっそく二件ほど失敗した。