Twitterで見かけたTIME BOX DIARY というノートが良さそうだったのでAffinity Publisher で自作してみた。一日に一ページが振られている。縦長の用紙の左上に日付を記入する欄があって、その下に三つのボックスに分かれた記入欄がある。これにはTop Project と名がついている。その下部には残りのスペースを大きく使ったボックスがひとつ。これはBrain Dump とあるから、とにかく思いついたものをごちゃごちゃ書き出す場所だ。まずこのBrain Dump にその日こなしたいタスクややりたいことを一気に書き出していく。そこから優先順位をつけて、上位みっつをTop Project として記入する。ここまでが左側のスペースの機能で、右側には三〇分刻みのタイムテーブルになっていて、ここに左側で整理したタスクや用事を配置していくというものだ。〇〇分と三〇分とでボックスが分かれて二列になっているのが絶妙で、もとのもとから開始と終了の時刻を生活に合わせて改変する。五時始まり十一時終わりだったのを、七時始まり二十四時終わりに。さっそくこれに基づいて労働と時評を進めていく。
今月は『文學界』から始める。尾崎世界観「転の声」が面白くなくて、この数年どころか生涯で読んだ小説の中でもっともつまらないとさえ言えて、苦痛のあまり何度も中断し、Two Dots など虚無のゲームに走り、文フリの告知の準備をし、メルマガの配信まで済ませ、そのように気を散らせながらも三時間以上かけてなんとか読み通し、こんなんじゃ正当な評価はできないかもと気合を入れてもう一度通読し、やっぱり僕にはいいところが一個も見つけられないかもしれないと途方に暮れた。ためしにSNS で検索してみるとファンによる好意的な感想がすでにいくつも見つかり、それだけでも文芸誌掲載作としてはリーチしている数が桁違いであることがよくわかるが、ぞっとするのはそれらの文面が作中で露悪的に描かれるファンの空疎な声とほとんど同じような雰囲気を纏っていることだ。少なくともこの書き手は、自身を取り巻くファンたちのSNS 環境を熟知しており、パスティーシュとしてはいい出来であるということはわかった。しかし採取されたそれがもともと面白くもなんともなく、文章としても稚拙なそれらを真似たとして、それで何が面白くなるというのだろうか。本人をあくまで小説の書き手として読む場合、かれは普段見ている粗悪なタイムラインの実情になど興味はなく、レベルの低さに白けるだけだ。それらの稚拙さがあえてだと説得できるほどの強度が地の文にないのもつらい。そもそも各要素の配置がうまくなく、手数は少ないくせに照応関係をもたせることに失敗しており、荒唐無稽さを支えるだけのリアリティを充分に確保できていない。そのようなものを二百枚以上読まされる苦痛たるや。せめて半分の分量にしてくれ。そもそも僕のようなものは眼中にない場所で書かれた小説なのだろうし、このようにまともに取り上げるのも馬鹿らしいのかもしれない。なんというか、ライブのMC中に上げた声がちょっとウケたからって調子に乗ってやりすぎてしまうダサい客のような作品だった。わざわざ時評で取り上げることもないけれど、どうしても苛立ちが募ったので日記に書いておくことにした。ぶーぶー。
急な大雨で傘を忘れて困ったとのことで、出勤していた奥さんを駅まで迎えに行く。TIME BOX 的には夕食を準備し出すタイミングだったから予定が狂う。家族のお迎えをしなくてはならなくて、とノートに謝る。奥さんの傘は虹色にごきげんで、腕に下げて歩くとなんとなくうきうきする。好きな人を迎えに駅まで行くのって久しぶりだな。なんともくすぐったい。
夕食はつくってくれるというので甘えて『文學界』の創作を読み終える。食事中はずっと「転の声」の悪口を語って聞かせ、あ、でもさっき読んだ後藤高志「今日があったという響き」はよかったんだよ。妻が去る話なんだけど。まずエレベーターでさあ、と話し出すと止まらなかった。そのまま好きだった細部をどんどん再現し始め、皿洗い中も熱弁し、最後まで語り終えてしまう。すこしだけ涙ぐみさえして、読まずに聞かされただけの奥さんまでしんみり淋しくなって、食器を干し終えるとぴったり寄り添っていた。このままなかよしだといいね。でも、小説に描かれるすれ違いって、それはそれでわかるから、こわい。お風呂にティーバッグの要領で香料が詰め込まれた袋を浮かべて、湯船がどんどん真っ青になった。