二度寝しちゃう。ねぼすけだなという日でも九時には起きているからすごい。九時が早起きで、ねぼすけといえば十一時だったのだから。今日は十時半までごろごろしていた。文芸誌を片付けていく。ようやく『新潮』を抜けた。量が多かった。しかも人生のままならなさを描くものも多く、人生のそういう重苦しさは知ってる、だからわざわざ小説で読みたくないな、と弱音を吐きたくなった。そういう個人の好みとは別に、その作品が優れているかどうかの判断はできるし、するべきである。しかし、やはり好みでないものを読むのはつらい。さいきんは気温も安定しないし、情緒がふるふるになってしまう。
人の座談会のテープ起こしと構成というのをはじめてやっている。耳を澄ませ、錯綜する語りからフィラーを除き、順序を入れ替え、情報めいた形にまで成形する。人はよく「なんか」を挟むし、前置きから遠くまで離れ、かと思えばずいぶん後になって戻ってきたりする。文字だとその距離はうまく繋がらない。大胆な鋏を入れる。綺麗になりすぎても何かが損なわれる。声を文字に翻訳するというのは、とにかくよく話を聞くことなのだと思う。
十一日から始まった新日本プロレスのBOSJ──ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア──も見なくてはいけない。録音もしなくちゃいけない。あれこれと告知もしなくちゃいけない。なんだか忙しい。集荷に来てもらい、流通センターに文学フリマへの搬入物を送る。週末の忙しさを想像し、すこしげんなりするがくたくたに疲れるほど忙しくできた方が嬉しいなと思い直す。
録音もしたし、冬単の配信も見た。いつからだろうか。どこかのタイミングで映像の選定への不信感が高まり、それはいまだに改善されない。配信の映像のスイッチングへの疑念は深まるばかりだ。