2021.02.22(2-p.16)

山薬で朝ごはんをもりもり食べて、バスでラリック美術館に行った。プルーストを読んでから1900年代前半のヨーロッパへの関心が僕の中に芽生えたようで、とくに20年代はプルーストの頃、という認識でいて、それは大量生産に美意識がインストールされ始める頃なのかもしれなかった。工業製品がこうして仰々しく展示されるということにあまり違和感がないのが面白い。服飾の展示も顕著にそうだが、アウラは実作過程でなく計画=デザインに宿るということだろうか。このあたりは掘ると面白そうだがまだ知見がない。蝉が蝉だった。

奥さんの花粉症が本格化して、ドラッグストアで慌てて備えるが、どうにもならない。昨晩からずべずべだ。僕もどうやらだめらしい。鼻水が止まらないし、くしゃみのし過ぎで肩腹が痛くなった。小田原行きのバスはなかなか来なくて、風のたびに待合室が揺れた。奥さんは涙を鼻水と同じくらい流していた。

小田原行きのバスの中では藤田省三。なんというか、読んでいると僕がなぜあれほど学校が嫌いだったのか、みたいなことが明確になっていく感じがする。理論よりも感情が優先されるようなあり方を僕は唾棄すべきものとして考える、それは幼い頃からそうだった。管理者への共感によって自ら進んで管理しやすい人間であろうとすることへの強い嫌悪がずっとあって、それがいちばん表出していたのが中学生くらいの時期だった。しかし理論も一元的に絶対視すると感情と同じくらい恣意的な運用が可能になってしまうので、複数の理論をつねに折衝させることが大事なのではないか、みたいなことが書かれているような気がしている。ここまでレーニンを好意的に書いている文章は初めてで、初出は確認していないけれど、たぶんまだソ連がある頃の文章だ。このころはまだ資本主義リアリズムには突破口があるような気分があったのだと想像しているが、どうだったんだろう。

小田原で刺身とアジフライ。明るいうちに帰りの電車に乗る。久々の外泊と、花粉症とで、二人ともふらふらだ。バスからずっと寝ている奥さんは、こうして眠っちゃうのが花粉のせいなのか気圧のせいなのか薬のせいなのかわからない、と言った。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。