2021.02.23(2-p.16)

『CCC』をやっていて気が付いた。わくわくするSF やファンタジーのお約束の一つである「ループもの」は、今に至るまでどんどん洗練されていって伝統芸能みたいになっているけれど、その端緒はエロゲだったのではないか、という仮説だ。『CCC』はだいぶ自らの出自であるエロゲっぽさを濃厚に残しているが、それはやたらにシナリオが分岐するという構造そのものにもよく表れている。僕はこれが少しだるくて、一回のプレイで単線的にぜんぶ回収できればいいのに、と思うのだが、この選択肢によって無数に物語が枝分かれし、その全てを見るために、もしくは「トゥルー・エンド」に到達するために、何度も同じ時間を繰り返し遊ぶというエロゲ──発祥なのかはわからないがともかくそのへんに顕著な──構造が、「ループもの」のお作法を洗練させていったのではないか。紙芝居の微細な差分で大きく物語を変奏させていく──エロゲのそうした遊びの構造そのものが、差異と反復の面白さを最大化しようとするシナリオ作りの工夫を要請した。僕はこういう、野放図な自由からではなく、具体的な構造や型や制約からこそ、新しい面白さは開花するという考え方がとても好きだ。興奮してこの仮説を奥さんに披露すると面白がってもらえて、今日の日記はそれだね、と言われたが、実際にこうして書いてみるとまだ生煮えの仮説は口頭では面白いのだが、文字では面白さが伝わる気がしなかった。こういうことこそポッドキャストでするほうが面白いのだろうなと思いつつ、そうした生煮えの興奮をそれでもなんとかなるべく熱量のままに書き荒ぶというのも日記の醍醐味であり、しかしゲームのし過ぎと「天伝」のディレイビューイングを一幕観ていたらこんな時間だ。明日も早いしもう眠いから一息に書けるだけ書いて終える。末満版『刀剣乱舞』もまた、差異と反復の面白さを追求するその最新の位置にいるのかもしれない。複数回の遊び=プレイを要求するエロゲから、複数回の上演=プレイを前提とした2.5次元舞台へ。差異と反復の伝統芸能はいまもまだ洗練の途上にあるのかもしれないし、すでにまた乗り越えられるべき型となりかけているのかもしれない。新しいものは出尽くした、ということはない。微細な差異をいちいち面白がるところから、いつの間にかだいぶ遠くまで連れてこられている、ということが、なくはないのだ。おやすみなさい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。