昨晩は翌日──というのは今日のことだが──を休みにしたことで余裕ができ、家の諸改善というか未着手案件の洗い出しと検討を行い、けっきょく二時くらいまであれこれしていた。ダイニングの照明と収納については暫定対応まで済ませ、明けて今日は小上がりにテーブルを設置しようと決めていた。小上がりは掘り炬燵にできるようになっていて、炬燵部分は自作する想定だった。奥さんが手元の木材の組み合わせをシュミュレートし、けっきょくあたらしく調達するのがよいと決まる。せっかくなので気になっている食堂に寄ることにして出かける。食堂は感じよく、ボリュームも満足で、こいつはいいや。ホームセンターで木材を、スーパーで食材を買い、一時間ほど作業。僕は夕食の仕込み、奥さんは炬燵テーブルの制作。あっと声がして、奥さんがカッターで指を切った。換気扇の下でよく事態を把握していない間に洗浄から止血まで自分で済ませた奥さんは、表情や声音はそこまで悲壮ではなかったけれど絆創膏に滲む赤黒さ、床にポタリと落ちた血痕は事態のたいへんさを表していた。うまく反応できないまま静かに同情していたけれど、本人が騒がず冷静に対処しているのだから大騒ぎしても仕方がないともいえる。炬燵テーブルはみごと出来上がり、すこしグラグラする。強度や安定の面ではまだ手を入れる余地がありそうだけれど、自らの手で具体的な形を作れる奥さんは格好いいなと惚れ惚れする。
キネマ旬報シアターで二度目の『チャレンジャーズ』。やはり大はしゃぎ。こんなに楽しい映画もなかなかない。だって、観客である我々がリレーションシップの喩であるボールとして血の有り余った腹黒い人物たちのあいだを行き来するんだよ? パトリックのエロさにピンときていない奥さんは、三人ともが好きになれたら最高なんだろうけど、私はアートとタシだけで、パトリックは金も清潔感もないし、そのくせへらへらしててやだった、だから三分の二しか楽しめてない気がする、という。パトリックのエロさにこそくらくらきている僕はビールから日本酒に切り替えつつ、手を替え品を替えかれのエロさについて熱弁を振るっていたらべろべろに酔っ払ってしまった。何度も何度も、わかってるよ、僕の男の趣味が悪いのは、と大声で話していた気がする。男をエロい目で見ること。さいきんの僕の関心はそのような方向にありそうだった。男性性というものを考えるとき、その嫌な部分をキャンプに乗り越えること。消去ではなく、ばかばかしく突き抜けた誇張によってそれをなすこと。