台風10号は今週後半にかけて列島を横断するかもしれないと予報されていたけれど、昨晩から明日にかけてじりじりと九州に留まっており、だからといって関東も影響がないわけではなく、頭はぼんやりするし、目の奥がじくじく痛む。風もつよく吹いているし、これを書いている夜にはものすごい勢いの雨音が遠く聞こえる。この家は二重窓なので外の音が遠いのだけれど、そのぶん雨樋をつよく打つ震えが寝室に伝わってくる。
ほんらい進めるはずだった原稿も、ゲラも、うまく頭が働かず断念。どうでもいい映画をスクリーンに投影しながら、FGO や「ディスガイア2」を遊んでいた。それから音楽をかけ、目を瞑ってじっとしていた。本は読むか、とひらいた堀江敏幸訳『土左日記』は、ぼやけた頭を醒ますような凄さだ。まず諸言があるのだが、こんな原文は存在しないのだ。漢詩の精髄を「やまとうた」へと変換する作業を行なった紀貫之は、やがて漢語によって著される公文書はもちろん、やまとことばでうたわれる詩歌によっても捉えきれない領野に至る。それこそ、散文の要請される場である。
ここにはいないひとを想い、月影ひとつない秋の闇に飛ぶ雁が音に耳を傾けること。うたのなかでは、それが許される。いるはずのないひとを想い、飛んでいない雁の声を聴くことさえ、できなくはない。いやむしろ、そこにあるものをあると言わず、ないものをないと言わない、このふたつの眼差しのかけあわせこそが、心と言葉を引き離すために欠かせない、語りの、もしくは騙りの大切な軸なのである。ここにはないものを、ここにあらしめるための言葉。(…)その一端にかろうじて触れていながら、つまらない欲と知が邪魔をしてどうしても届かなくなっている、幻聴にも似た声。その余りをとらえられるのは、遠国で憂いをかこちながら記した男文字の日記ではなく、やまとうたを自在に出し入れできる、心と言葉の境をなくした、澪標のない海のような散文だけだ。言の葉を一枚で空に飛ばすには力が足りない。というより、言葉は単独で空を飛ぶことができない。見えても見えなくても、周囲を固める言葉の隊列が必要なのだ。心のすきまを吹く風は、高い空で冷やされ、渡りの鳥たちの羽で切られる。その羽音が、うたになる。
堀江敏幸訳『土左日記』(河出文庫) p.20-21
この引用は省略した部分こそ凄い。そこでは具体的なあるうたをめぐる環境が取り上げられる。『花鳥の使』での尼ヶ崎彬の論の記憶を手がかりに、これを読んでいる。あるいは、戯曲とは詩歌の成立する場を設計するための指示書であるというようなことを──ずいぶん不正確な記憶であるはずだが──言っていたはずのいぬのせなか座の山本浩貴の文章を思い出しながら読んでいる。散文とは、言葉が言葉として立つ、詩歌の場をあつらえるために配置される文字列である。堀江の貫之はそれを看取する。漢詩を和歌へ、そしてやまとことばの散文へ。「私」から「わたし」への劇的な移行を要請する非常に個人的な事情というのを、本書の「諸言」として構築してみせたこの現代語訳者は、かの「をとこもすなる日記といふものを」の一文を、じつに鮮やかに読み替えてみせる。その読み替え=翻訳は、漢語からやまとことば、詩歌から散文へと移行せざるをえなかった、紀貫之の問題意識を現代の問題系においてふたたび蘇らせる試みにほかならない。
新型コロナウイルスの感染拡大以降、僕の日記は明確に日記としての性格を意識的に強め、当初の散文としての試行錯誤という面は弱め続けてきた。それはもちろん意図があり、意識的に調整した変容ではあるのだけれど、批評や評論ではなく日記でなければならない意味というのを久しぶりに考え直している。