録音と昼食の目算を誤って遅刻が決まった。
午後は鈴木捧さんによるワークショップ。ランダムに配られた風景写真を組み合わせ、無理やり近接されるものとして描写を試みる。風景の側に無理をさせ、そのように誂えられた空間の軋みを同一平面上に並べ述べてみる。そのあと、立ち上げられた風景のキメラを舞台に怪談を創作していくのだが、僕はまずはじめの風景の設計と描写のワークにこそ面白さを感じていた。叙するによ、情に棹さすにせよ、景というものを記述する際に避け難く混入してしまう私性との距離を測る時間だった。僕は風景に対して人間を優越させる態度がすごい嫌いなんだなということがよくわかる機会でもあった。ほんらい無関係な風景を連結することであらたに生起する空間を叙する楽しさに比して、そこに意味をべったりとつけて紋切型に貶めていく作業はかすかな苦痛もまたあった。なるべくそれに抗いたくて、頓珍漢なことを語ってみせたが、もっとナンセンスにするべきであった気もする。意味の重力の強さに打ちのめされる機会でもあった。鈴木捧さんの実話怪談のよさというのは、人間よりも風景の側に立つ態度に宿っていると思う。語るな。描け。風景を物語の手段とするのではなく、風景自体が自律的に語り出すかのように見えてしまうことに賭ける態度。
打ち上げの席で、鈴木さんの隣に座ったのだけれど、緊張してほとんど話せなかった。初演を見た稲垣さんに、吉祥寺でかかった『仮想的な失調』では本物の車が舞台に上がったのだと教えてもらう。それは楽しそうだ。蛙坂さんと卯ちりさんの熱いトークに浮かされて『鉄鍋のジャン』を全巻Kindleで買った。読み放題に入っていた合本版の『将太の寿司』も入れておいた。帰りの電車で読み始め、この読み口は横山まさみち『やる気まんまん』に似ているかもしれないと思う。これはお二人が宇能鴻一郎の話もしていたのが影響している気もする。鳥目が進行していて、酔っぱらって歩く夜道はほとんど見えず、勘でやってる。しょっぱさが欲しくてカップ蕎麦を買って帰り、シャワーをぱっと浴びながら湯を沸かし、半裸で啜った。