ここでいくほかない、と当日になって捻じ込むようにして予約を入れて歯医者。待合室ではKindle で黒沢清の講演録や『鉄鍋のジャン』を読んでいた。診察室に呼ばれてからも待ち時間があって、そのたびに『鉄鍋のジャン』を読んでいたら、歯科衛生士の一人が電子書籍の端末に興味があるのだと水を向けてきて、それから好きな漫画で挙げたのがまず『食戟のソーマ』で、これは僕が読んでいたのを料理漫画だとわかったうえでの気遣いだろう、その次に挙げたのがリゼロで、どっちも知らないんですよと答えると、王道なのに、と返される。ちなみに食戟って「しょくげき」と読むらしい。「しょくさい」だと思っていたので変換されずに難儀した。くだんの歯科衛生士も「しょくさい」って言っていた気がする。しかし、そもそも歯医者に行けという奥さんの提言さえも、歯医者に行こうと思っているのだという独話と取り違えていたくらいだから、実際はちゃんと正しかった可能性も大いにある。
奥歯、たぶん右下のそれが虫歯かもしれない。そう告げて、それはカルテだか何かで共有され、おそらく共有している何人かの歯科衛生士とひとりの歯科医が入れ代わり立ち代わりやってきて、その人たちのために口を開ける。だんだん気がついてきたこととして、奥歯を見せるとき、思い切って大きく開ける必要はない。むしろ頬にテンションをかけすぎると見えにくいので、頬肉を弛緩させるようにしておいたほうがいい。しかし口を開け続けるというのは疲れるものだ。ベストみたいな重しを着けて、目の前の器具を噛む。固定された頭部のまわりをつるっとした機械が反時計回りで動き出す。そうして撮られたレントゲンを一瞥して述べられた所感からしてそれらしかったのだが、けっきょく虫歯はどこにもなくて、まあせっかくだからと着色汚れの除去してくれて、歯石までとってくれた。おかげでたっぷり一時間半かかったけれど、まあもう用事はないから、よかったら定期検診に来てね、とのことで、初診にしてやることがなくなる歯医者というのは清々しいものだ。
スーパーで奥さんと落ち合って買い物をする。人参が瘦せていて高い。ほかの野菜もぱっとしない。これまで住んでいた家の麓の業務用スーパーは、とにかく野菜がでかかった。そのサイズ感に慣れてしまっている。これが平均なのかもしれない。しかし、もっと大きくてもよくないかな。
寝る前、大きく口を開けて歯を見せて、すごい!すっかりきれいになったね、という褒めを強奪する。満足して、寝る、その前に、奥さんの歯も見せてもらう。奥さんの顎は小さい。だから歯も小さい。小さいのにちゃんと生えそろっているのがなんだかとびきり可愛くてそう言うと、訝しがられた。生え揃っててかわいいねって何……? 奥さんの足もかわいい。小さいのに指が生え揃っているから。べつに数が通常のそれと違くてもよくて、おのおののサイズに合わせて、部品の一個一個がほんものであるというのがかわいい。シマリスの指はかわいい。野菜が小さいのはかわいくない。