寒いなかタスクが混んで空腹を放置していたら頭痛と吐き気で動けなくなりかける。朝を適当なお菓子とコーヒーで済ませてはよくない。応急処置として羊羹とホットミルクを摂り、それからあんかけ焼きそばをつくる。
昨日の待ち合わせは本屋だった。置いてあった福尾匠『ひとごと』を立ち読みして人を待っていた。『ひとごと』はもう買ってあった。家にある本をよそで読むと、同じことが書いてあるのでびっくりする。ひらきぐせがつき、手に馴染むにつれ愛着も湧いてくる本というオブジェが、多量に複製されたものであると気がつくこと。いま家にあるものが、この一冊である必然性などなく、なんなら交換されたところでいっこうに差し支えないというどちらでもよさについて考える。
きょう自宅で読んだ『ひとごと』では、日記について書かれている短文に、〈イベントフルネス/イベントレスネス〉という二項が立てられている。イベントレスネス。それは〈ひとことで言えば暇であること、書くべきことの少なさに対応するような言葉のありかた〉への興味から発見された語彙だという。主にコロナ禍以降に書かれたであろうテキストで、繰り返されるのは「三密」の回避によってもたらされたのは、むしろコミュニケーションしか存在しないという密な状況であったという洞察だ。日記におけるイベントとは、いうべきこと、コミュニケートすべきことがらであり、それらが疎らである一日にこそ、ようやく意識にのぼる書いても書かなくてもいいことらが表出する。