楽しかったし、忘れたくないなと思う日の日記は、何を書いても何かを書きそびれるということを思い知ることになるけれど、何も書けていないな、と不足ばかり思う日の日記は、翌日に読み返してみるとかなりいい感じだったりする。やむをえず書き落とすことと、抑制をきかせることは、外面上ほとんど区別できないのかもしれない。
しばらくは思い出していれば書けそうだった。朝食会場で流れるオルゴールの音楽が妙に気に掛かり、メロディを追ってみると「無限 LOOP」だったこと。温泉でプロレスラーのようにぴくつく胸筋。子供は常にねばっこい鼻水を垂らし、翌日になって急に人見知りをすること。寝起きでもきれいに整った頭髪を羨ましく眺めたこと。ソフトクリームが食べたかったがどこにも見当たらなかった無念。
お腹の調子がよくなくて、ごちそう疲れだろうか。空咳も出て、喉が荒れている。発熱の予感があって心細いけれど、奥さん曰く気弱になっているだけではないかとのこと。ずいぶんと熱を出さないできたから、今年になって病臥した経験の驚きが大きく、じぶんは発熱しうるという可能性に気がついてしまったのではないか。じっさいお風呂で温まったら咳も止まったじゃないか。そうなのかもしれない。疲れたら熱が出る。そういう思い込みが自分の中に居座っている。というか、熱でも出さないと立ち止まれないとでも考えているのだろうか。自発的にペースを落として休んだりできる方が大人な感じがする。そうでありたい。