2021.04.13(2-p.53)

きょうは気圧がひどいが仕事を頑張ってえらかった。きょうはDMM で買った奥さんおすすめの漫画を読むので日記はてきとう!

で、済ませようとしたら奥さんが残念そうな顔をするのでもう少し書こうと思うけれど、今日は本当にもうダメで、同居人が夕食のリクエストを訊いてくれたので、せめてなんかパァッて気持ちがなるものがいい、と曖昧にすぎることを言うと、ペペロンチーノのホタルイカと大根おろし載せをこさえてくれて、ホタルイカと大根おろしは大好きなのでこれはチーズハンバーグカツカレーみたいなもので、とってもパァッてなった。物量。パアッてなるのは物量。足し算で人は華やぐ。だから叩き売りみたいな値段で百冊買うのもパアッてすることで、そういうのは必要だった。特にいまの時期は非常に切実で、この予算どっから出てるんだろうなあとかそういうことは考えたければ考えればいいが正直いち消費者としては知ったことではない、ただ享受するのみだという態度も実は売り手としても必要な部分があって、というか買い手に倫理観を求めるのが絶対になってしまったらそれはそれで貧乏くさいというか、状況がどんどんしょっぱくなっていることの表れのようにも思っている。ビジネス書を買うときもそうだが、こうしてセールに乗っかることにもいちいちくだくだ言い訳したくなっている時点で何だかもう何だかなあという感じなのだけれど。思考停止はよくないというのは全面的に同意するがあらゆるものごとを思考し続けることができるという消費者観は、企業の側の思考の放棄でもあって、まずもって作り手の側が考え抜くべきで、それは一面では他者の思考の肩代わりでもあるだろう。というかそもそも仕事というのはそうやって他者の面倒ごとを代わりにやってやるということではないか。だとすると受け手の側がその仕事の倫理をいちいち問わなければいけない状況とは、仕事の衰退でなくてなんであろう。受け手に楽させないでどうするのだろう。しかし僕は本はこちらが苦労して読まないとどうしようもないようなものの方が好きだ。だからこそ丁寧に考えなくて済ませてくれるようなビジネス書やセールにもこうして面倒くさいことを言いたがるのだろうし、しかしそもそも面倒とは好きでやるものであって、そうでない面倒は他人任せにしたい。だから僕は本を読むという面倒以外はべつにやりたいわけではないのだ。ここまで読んできた人は気がつくだろうが僕は書くことがない時ほど面倒くさそうなことをくだくだ書くところがあるが、それはこういうことであれば無限に書けてしまいそうだからだ。そろそろいいでしょう。今日はおしまい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。