2021.07.25(2-p.150)

奥さんが時のオカリナを勧めている横で懐かしい64のときの攻略本をぱらぱらめくってそれとなくアドバイスをしたり、『通天閣』を読んだり、『書物としての新約聖書』を読んだりしている。

『通天閣』は図書館で借りて読めるはずもなくでも一章くらいは読んだはずだがぜんぜん覚えていなくて、読み進めるうちにジャンジャン町あたりのなし崩し的なやり口は覚えているな、などと思えてしかしとにかくとても楽しい。いま手元にある『通天閣』は天王寺のスタンダードブックストアで買った。8000円くらいするものと思って買ったのに3600円で、なんでだよ! もっと払わせてよ! と思いつつ、その価格設定に至る各所の努力を思って震えた。これは本当に良書なので皆さん何冊でも買うといいですよ。安いというか、安すぎですし。複雑な利権闘争や強圧的な都市計画から漏れ出る市井の生活の臭みみたいなものを感じさせるいい文章で、読んでいて元気が出てくるし、ミナミの土地を巡るきな臭い暗躍や侠客の面白エピソードの数々は野次馬心に非常に満足を与えてくれる。今日ようやく二章に入って、しかし僕はこの『王将』シリーズの話にも既視感がある。じつは一回通読してたりするのだろうか。まあなんでもいい。こんないい本は何度読んでもいい。どんどん読んでどんどん忘れてまた読めるなら最高だ。

『書物としての新訳聖書』もたいへん面白く、テキストとして残すことで読解の広がりが生まれるというか、解釈のちがいや書かれたことへの疑いというのは、テキストが中心にあって初めて成立することなのだよな、ということをぼんやりと考えながらゆっくり読んでいる。知らないことばかりだが、それで躓くということもなく、むしろ初学者にも親切な形に整理されているので、わかった気になりやすいぶんどこまで鵜呑みにしていいか不安にもなる。ひとまずはこの本から始めつつ、じっくりとやっていこうと思えている時点でいい入門書なのだろう。僕はテキストにすることで得られる確かさ、テキストにしないからこそ乗り越えられるもの、それらの一挙両得をなんとか実現しようとする無茶というか飛躍にどうも惹かれているらしい。ある原理を愚直に突き詰めていくとその原理のあり方さえも組み替えられてしまう、というダイナミックなテキスト読解。

背中が痛い。夜はお誘いいただき河原で花火。「狼煙」という花火が華やかにパッと咲いて散るタイプの花火で、狼煙としての自覚があまりに足りなかった。全体的に火がつくまでに時間がかかる割にすぐに消えてしまって、こんなに儚いものだったかな、カントリーマアムみたいに年々内容量が小さくなっていっているのかな、と思う。準備のたいへんさに比べてあっけないのは蟹のようでもある。僕は蟹は食べる努力に味も量も見合ってない気がしてあまり好きではないが花火のあっけなさは嫌いではない。そもそもが火薬の燃焼を眺めるだけで腹も膨れないのだから蟹以上にナンセンスを極めているのが気持ちがいい。ぱっと始めてぱっと解散した。夏はクソだが、良い夏を。そう挨拶がされて、いい挨拶だな、と思う。また来年もできたらいい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。