2021.08.25(2-p.150)

首寝違えると日記も短いんだね、と奥さんは残念そうに言った。それから眠ったのだが首が痛くて眠れない。ようやく眠れたら深く眠って、気がつくと奥さんの朝会が始まって、終わっていた。全く気がつかなかった。だから寝れはしたのだが首の痛みは悪化していた。こりゃいかんなあ。

賃労働は午後開始にして、コーヒーを淹れて、対談ゲラの最終確認とメール、昨晩の録音の確認と青木さんへの共有、そのあとポイエティークRADIO の分の編集というかジングルをつけるだけでそのままAnchor に放り込んでおく。配信日を月曜の0時にセット。TwitterのDMで青木さんとやりとり。FGOを起動してフレンド申請を送る。今朝配信のオムラヂを聴きながら家を出て、鍼灸院に向かう。汗でぐっしょりで、タオルを持ってくればよかった。寝違えが、つらくて、そう伝えると寝違えとぎっくり腰は処置が遅れれば遅れるほど尾を引くのだと言われ、それから打たれる鍼がぜんぶ重く響く。ズドン、という響き方で、だんだん愉快になる。ツボに灸も据えてもらう。最後には電気も流す。筋肉が自分の自覚とは関係なしにぴくつくのが面白い。これは肉体なんだな、と思う。お昼ご飯にタコスを買って帰る。

Henry Kaiser を聴いているとふと思いついて楽しい依頼文を書いて、発注を行う。楽しみ。

奥さんとタコスを美味しく食べて、労働。終え、読みさしで忘れかけていた『江戸のアウトロー』と『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』を読み終える。音楽はCleo Sol 。勢いづいて松田青子『持続可能な魂の利用』を手に取り、そのまま最後まで。小説はこんなに早く読めてしまうのだな、といつも新鮮に驚く。同じようなページ数でも、小説はするすると一二時間で読めてしまう、小説の「小」たる所以だろうか。「小」だからといって小さいわけでもなく、そもそも一二時間といえば映画一本分だ。決して短い時間ではないし、それだけあればどこまでも行ける。つねづね言うように読んでいる時間の中にしか小説はないが、測定される客観的な時間の長さと質がいつでも相関しているわけでもない。読んでいてしんどくなるような内容だったが、ちゃんとしんどい現実に対して元気いっぱい中指を立てている小説だった。もっと壊してやりたい、とも思うが、それでは粗野で未熟な「おじさん」と変わらないだろうとも思う。読み終えて残るのはやるせなさの方が強い。現実はこれよりずっと醜悪だ。あとはネロちゃまのことを考えた。明らかに不当な性差別の構造に加担していることを自覚しつつも、どうしても推してしまう、そのどうしようもなさ。

気がつくと奥さんが笑ってしまうくらいぐったりしていて、どうしたの、と訊いても本人も漫然と調子が悪いのだからどうしたもこうしたもない。じとっとした目でこちらに訴えかけてくるが、何ができるでもない。とにかく水を飲むように、というと、もう飲んだ、と言う。塩飴は、と訊いても、舐めた、と言う。湿気がひどいので除湿器をかけて、冷房を強める。湿気はなぜだか全然わかんない、と言いながら、わたし顔から血を流してる? と言う。流していた。右目と頬骨の中間の部分から、奥さんは血を流していた。マスクで覆われる部分の肌が全体的に荒れている。かゆそうになっているのもあれば、全体的に薄くもなっているようでこうして訳もなく血を流す。奥さんは布団に寝転びながらトルライの映像を見返している。その音だけを聴きながら、いいステージだったな、と改めて思う。楽しい一日にしましょう、という最初の声がけで、僕は何度でも泣いてしまう。あなたが楽しいと嬉しい、ということをまっすぐ伝えてもらえることの嬉しさ。そうか、あのカツラとメイクは着ぐるみなのだ、彼らはほとんど生身のまま、キャラクターを纏ってキャラクターとして生きている。想起するのはテレビからこちらにスターマンのメッセージを悪戯っぽく共有するデヴィッド・ボウイだ。2.5次元とグラムロックとヴィジュアル系が僕の中で繋がった。生身を晒しながら、フィクショナルな身振りでこことは別の世界を作り上げること。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。