きょうは11,243歩も歩いたので満足。
本当は家にいるつもりだったのだけど、奥さんも僕も虚無そのもののような表情でいたのでこれは魂を浄化せねばなるまい、と何がしたいか検討したところ、ふわっふぁのパンケーキが食べたいとのことで、散歩がてら食べにいくことにしたのだ。歩き出すと少しずつ口も回るようで、お喋りが動き出す。
星乃珈琲のスフレのやつを注文し、来るまでの二〇分、お互いの飲み物を啜りながらなにがしかを読んでいて、僕は読み終えた今週の「だえん問答」を奥さんに転送した。奥さんがそれを読み出した頃にスフレのやつがくる。僕はプリンにしたのだが予想の二まわり小さかった。奥さんは一口食べるや目に輝きが戻って、ジブリのアニメみたいにぱあっと表情が華やぐので僕は嬉しくなった。外になるべく出ない方がいいだとか、そういうことはわかっている。けれどもリスク回避のための「正しさ」だけでは心が死ぬ。ささやかでいいから華やぎが欲しい。そういうところで己の加害可能性や被害のリスクを意識しながらも、括弧に入れて自分を甘やかす、その必要も理解はできるというか現に僕たちはけっこうやっている。自分たちの振る舞いや決断を全肯定もできなければ全否定もできないというのは、しかしこうなる前からずっとそうだった。僕たちはいつだって、「正しさ」に回収しきれない煮え切らなさをそのままに、日々のごきげんをどうにか絶やさないようにやっていく。しょっぱいものも食べたくなって、カレーを食べに店を変えて、それから帰る。歩きながら奥さんと今週の「だえん問答」をフックにお喋り。日本に信仰がほとんどないせいで各々にそれぞれの信仰があるということが受け容れられにくいのだというけれど、実はそれぞれの宗派の存在もある程度寛容に受け容れている信仰があるよね、それは「恋愛」と呼ばれてる、みたいなことをずっと話していた。承認欲求と自尊感情の話に繋がり、僕はどうやら自尊感情を、自分の承認に関して自分のことをどれだけ承認者として認識できるかという強度で捉えているらしい、みたいなことを話す。久しぶりに二人でちゃんとお喋りした気がする。帰って手と顔を洗う。マスクを外した奥さんの顔が出かける前と比べて劇的にスッキリしていて二人で驚く。うじゃけた顔していたのが、すっかりチャーミングだった。これからどうやってごきげんを保守していくか、またちゃんと考えていかないといけない段階なのだな、と思う。この人がいつでも楽しそうなのがいいな、と思って、トルライの春組の、悲しい顔よりも嬉しい顔をしていて欲しい、その方が僕たちも嬉しい、という祈りのような呼びかけを思い出すようだった。守りたい、この笑顔。その方が僕の笑顔も守られる。
ゆっくりお風呂に浸かって、夕食を食べると眠かった。