2022.01.12

来週話題にする予定があるので『飯場へ』を読み返している。冒頭に配置された日記から、初めて読んだ当時のことをワーッと思い出す。著者の、自らの身体感覚の「バカさ」への自覚と技術の素直さに打たれる。当時は僕も現場で怒鳴られ、いびられ、その場のルールがわからないまま恐る恐る右往左往していた。そんななかで読んだから、僕はこの本を言語偏重の「無能」の一人として共感を抱いていた。『飯場へ』はまず、現場の暗黙のルールや流儀もわからないままおろおろしていた当時の僕の心細さだ。気も効かないし、鈍感。失礼なこともいっぱいやらかす。でも根は素直だから、ちょっとした善意に感じ入る。そんな僕のことを思い出す。そう考えてみると、なんだか僕はずいぶんしぶとくなったような気もするし、何にも変わっていないのかもしれない。自分がのびのびできる場を確保できて運がよかった。大事にしていかないと。

『飯場へ』と『日常的実践のポイエティーク』は入社したての素直で傷つきやすい僕に適切な図太さを備えさせてくれた本で、そういう意味でも僕には特別なのだ。30を過ぎて思うのは、いかにエイジズムと付き合っていくかというか、「いい年」になってからこそ、素人の自称の重みが増すな、ということだ。いくつになっても素人臭さを恥じないで、臆面もなく身の丈であれこれやっていきたい。

山崎紘菜さんの不在を感じながら、『マトリックス レザレクションズ』を観た。冒頭のシーン、カットの割り方や構図にすぐさまゼロ年代を生きたティーンが蘇ってきて、興奮した。ああ、僕は『マトリックス』が大好きだったな、と思い出す。初めて家に来たDVD が『マトリックス』で、中学生の僕は始発で封切り日の映画館に並ぶのが好きな子供だったから、2作目と3作目はそうやって観たはずだ。去年懐かしくなって三部作を再見していた。当時は分からなかった面白さがわかるようになっていて、とにかくいま観てもとても完成度が高くて面白い作品だと思っていた。だからこそこっからどうやって4作目を作るんだ? と思っていたけれど、まさかこんなにも茶目っ気たっぷりの自己言及に満ちていて、しかもやっていることは世界を丸々一個使ったフラッシュモブみたいな話で、なんてロマンティックなんだろう。僕は大好きだった。そういえば特に感想らしい感想を見かけないままでいたけれど、どうなんだろう、やっぱり蛇足だったみたいな評価なんだろうか。どれだけ貶されていたとしても僕はこれが大好きだと言い切れるような作品は久しぶりで、いっそ多くの人から嫌われていたらいいな、と倒錯的なことを考えてしまう。退屈な時間こそが煌めいていた。凡庸さを選び取ること。その選択が勇気でなくてなんだろう。老いて、速さや鋭さは失ってしまったとしても、ハリボテのようなフィクションを愛すること。僕たちは、いまからでも、世界を作り替えることができる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。