2022.01.28

「与えられたものではないものは忘れることができる。でも自分の身に起きたことは忘れられない。神よ、こんなことを理解する目にあわないですむように、すべての人をお守りください」
運命が胸にいだかせてくれる願望ではなくて、たんに夢想と化したなかば子供っぽい幸福要求の表現にすぎないような願望、そういう若いころの夢は、いかに挫折感や不満の典型的な補完物となり、発達阻害や喜びの欠如への正当な抗議になりうるとしても、ひとたび人生が現実の経験や、特定の対象と結びついた情熱をもちこんでくると、その最初の衝撃であえなく砕け散ってしまう。そういうとき、大きな広い世界からまっすぐ私たちに呼びかけ、名指し、確証してくれる声が聞こえると、それに熱烈に応答しようとする情熱は、あらまほしい夢まぼろしのすべてを吸収して一つの願望に凝縮させる──あの三つの願いの民話のように、もしも叶えられなければ自分は永久に不幸のままだと当人が思い込むような願いの一つに。
ラーエルはほかならぬ自分が打撃に見舞われるようなことかありうるとは思ってもいなかった。だが見舞われた。そしてこれだけは動かしがたい事実だった。それまでの彼女には、どこにリアリティがあるのか、どのように自分の現実を自分自身に証明できるのかがわからなかった。なぜなら、苦痛というものが一つの確証でありうることも、不幸、喪失、剥奪は自分がなにかをもっていたことを事後的に示す間接証拠たりうることも、以前にはまだ知りえなかったからだ。自分の身に起きたことを彼女は忘れられない。それは侵しがたい確実性をもっている。忘れたり、隠したり、ごまかしたりできるのは、外から「与えられたものではない」ものだけ、世界になんら痕跡を残さない自分自身の内面の興奮だけなのだ。じっさいに起こったこと、偶然起こってしまったことについては、内省すらそれを左右する力をもたない。ラーエルは不利を背負っていた──それを彼女は忘れていた。彼女は拒まれ突き戻された──このことは忘れることができない。この拒絶、この苦痛、それは彼女そのものなのだ。

アーレント『ラーエル・ファルンハーゲン』大島かおり訳(みすず書房) p.59

個人の内面という自由の領域しか持たない子供たちはいくらでも傲慢でありうるし、無限の可能性を屈託なく信じることすらできるかもしれない。そしてそのような内面の瑕疵のなさを信じたままで歳を重ねてしまう人も多いのだろう。僕もまたそのようなところがあるだろう。会社員という肩書きにこだわるのは、自分の内面の暴走への危惧というのもある。具体に反撃される前に、先手を打って具体とうまく付き合っていきたい。

夜は同居人が居酒屋飯を作ってくれて、久しぶりにお酒を飲んだ。ビール、日本酒、泡盛のお湯割り。久しぶりにご機嫌にぺろんぺろんだった。居酒屋感を出すためにApple Musicの「最新J-Pop」みたいなプレイリストを流しておいて、最近の曲というのはなんだか自分のころに聴いていた曲のようだな、この曲はわからん、これはなんて読むんだせめて読める名前にしてくれ、などと正しい年寄りの悪態をつきながら酒が進んだ。楽しい。ちゃんと歳を取れているって感じがする。Ado を初めて聴いた。ボカロだ。歳をとるということは新しいものを受け入れられなくなるというよりも、既知のものばかりで、新規を感じることができなくなっていくことなのかもしれない。

ほろ酔い気分で『小林さんちのメイドラゴン』の二周目。今回は奥さんに副流煙を吸わせるのが目的。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。