きのうは奥さんに付き合って映画みたいに編集された舞台を観たので、きょうは僕に付き合ってもらうことにして、演劇みたいに演出された映画を観にいくことになっていた。
下北沢へ。開演まで40分弱。まずはブランチ。ボーナストラックで、少し迷って、大浪漫飯店でルーロー飯と水餃子を分け合って食べる。水餃子はココナッツと麻辣肉味噌の、甘さとしょっぱさのバランスが新鮮な感じのおいしさ。ルーロー飯ならオペレーションの手数もシンプルだし、と思っていたのだけど、水餃子の茹で時間を考慮していなくてすこし焦る。
K2 というできたての映画館。できたての映画館なんて、伏見ミリオン座以来。うきうきする。『偶然と想像』。はじめの遠景の開放感は車内での限られた会話劇への移行のただなかですぐに薄れていく。セックスよりも会話というのはエロい、という濱口竜介作品の態度表明みたいなものがはっきりと台詞で示され、その後はもちろんエロい会話劇が繰り広げられる。のちに奥さん──濱口竜介作品はこれが始めて──は、こんなエロいものをみんな観にきてるの? やらしくない? 大学生のカップルとかがデートで来てたら、自分たちだけに可能な親密で苛烈で特別な時間が、こんなに克明に撮られてしまっていて、あ、ぜんぜん自分たちのことわかられちゃってるわ、なんて絶望したりしない? とコメントしていた。嘘をついていますよ、ということを両者が了解しているからこそ透けてしまう切実さはエロい。三作ともとても特別な瞬間がはっきりとあって、何時間もかけなくもできちゃうんだな、と思う。『ハッピーアワー』もそうだったけれど、嘘や演技にこそはっきりと発話者の真実に近いものが託されてしまう瞬間が大好きで、だからやっぱり三作目は泣き通しだった。俳優がカメラをはっきりと見据えるとき、わかりやすく全体のモードが変わる。全体的にカメラの置き方や扱いは野蛮というか、無造作にちかく、つねにその存在を感じる。それでもなお、そこでほんとうのことが起きていると感じる。濱口竜介作品が恐ろしいのは、身体と同程度に感情というものは操作可能だし、心に触れたという特別な感触は再現可能だと暴き続けていることだ。演じるということはなんと恐ろしい冒険だろう。言葉という道具や、身体運用の技術をもって、ほんとうよりもほんとうらしいものを表してしまうことがある。東出昌大はこっちに戻ってこれなかったんだな、と思っている。
終演後、いい映画でしたね、とポツリと濱口節で声をかけると奥さんもふざけて、はい、と応える。あぶない遊びだ。ゆう、は、遊ぶという字。それでまたボーナストラックで、ADDA のつもりだったがまだお腹が空いてなくて、胃袋にズキュンのはなれでバスクチーズケーキとキャロットケーキ。奥さんは和チャイ。僕は月日でカフェラテ。カウンターで、断捨離ですか、と声をかけてもらい、いいえ、映画です、と応えてすこし言葉を往復させる。納品でないとき、どのくらいしゃしゃり出るかとても迷うので、こうして水をむけてくれるのはありがたいしとても嬉しい。B&B の階下で催されていた断捨離のイベントは物々交換の古本市だったのだろうか。システムがよくわからず、並んでいる本もあたらしいものが多そうだったのでさっと眺めるだけだった。外は曇り空で、すこし寒かった。食べ物も飲み物もおいしい。
それから腹ごなしと古本への欲求不満の解消のために駅の向こう側まで歩いて、ほん吉でアーレントなどを買い込む。一万円くらいの勢いだったのに六千円。やはり古本屋はいいな。いつか自分の本もこういう空間で、静かに佇んでいてほしい。そしていまの文脈と無縁な誰かにうっかりと届くといい。なにか別な文脈のなかへと。本は一冊では意味を持ちません。書き手の意図など小さなもので、文字の配置と同じように本の配置はそれ自体で効果を生みます。他の本と並べられたとき、どのような相貌を見せるか、そこによさがあれば書き手はよしとします。
またボーナストラック。今度こそADDA。本日のカレーのマトンは終わってしまっていて、アサリとトマトのやつ。茄子のモージュがやたらうまい。二人でおいしいおいしい、と食べて、満足。
乗る電車を間違える。
帰宅。昨晩上映前のショッピングモールのトイザらスで、コンビニスイーツくらいのノリで買ったポケモンの新作で遊ぶ。金銀以来だ。楽しそう。奥さんと交代しながら遊び、チュートリアル期間が終わるころからは奥さんは編み物を始めた。糸は昨日僕と合流前に買ってきた。私は何も続かないんだと思ってたんだけど、編み物はそういえばもう20年近く続いてる。継続じゃなくて、断続してる。そういうのも「続いてる」んだったら、けっこうあるのかも。そう奥さんは話して、いい話だった。途切れることは、終わることではない。間違えることは、行き詰まることではない。ふとした偶然で、またなにかが始まってしまうことはありえるし、それはすぐに消えてなくなるかもしれないけれど、なかったことにはならないのだ。
