今朝は今川焼きを二つ食べた。
お昼はスーパーマーケットまで気晴らしに散歩。木金はコーヒー豆を買っているお店が定休なのに豆が切れてしまったのでつなぎのドリップバッグや、冷凍食品のチャーハンなどを買う。海鮮丼屋で刺身だけ買って、ご飯を解凍して食べる。ここ数日、特にお昼は化学の味を欲しがっているようだった。歩きながらラジオでニュースを聴いていた。多感な一〇代を、菊地成孔の気障ったらしい前口上を子守唄にして乗り切った世代だ。戦争不安はつねに頭の片隅で常に燻り続けていて、こういうとき、ふだんは認識せずに済ませられるほど微かな靄の濃度があがり、とうとう何一つ像を結ばなくなる。そう言いつつ、労働はわりと用事が立て込み、なんだかんだと働いていた。
思い出すのは小学校の運動会の前日だったか、学校が半日で終わって家に帰るとテレビがついていて、ビルに飛行機が突っ込んでいた。アメリカが戦争をするというのはそのまま世界に核の雨が降ることだとシュワちゃんの映画で育った僕にはわかっていたから、ああ、とうとう終わってしまうんだな、と思った。小学生の頃は、アンゴルモアもそうだし、東海大地震に、まだ冷戦の残り香があったのか核の恐怖も、なんだかとても身近なもので、『ターミネーター2』のサラの白昼夢みたいに、世界はある日突然あっけなく滅ぶものだと思っていた。大人になるとは、そうした短絡を回避するための理路をずっしり搭載することをいうのかもしれない。とはいえ、今回のは訳がわからなすぎて怖いな。
感染症の蔓延にだんだん感覚が麻痺してきて、なんだかどんなことにも鈍麻していくものだな、そうやってだらだらと続いてしまうのが生活のままならなさでもあるんだよな、と考え始めているところに、またこうして日々を成立されるための信の基盤が抜け落ちるようなことが起こると、また鋭敏になってしまう。そしてまた蹲ってめそめそしているうちに、だんだん疲れてしまって、いつしかまた頭の片隅に追いやっていくのだろう。
自分を励ますように愚痴っぽい独り言に節をつけているとき、あ、これ父が家でよくやってたな、と気がつく。そうか。
気圧の変化も相まって、きょうはだいぶダウナーだった。というか戦争は意識上ではそこまで前面にでていたわけではなくて、ただなんかすっごく調子悪ぃなあ、と思っていたところに、『小林さんちのメイドラゴン』で自分を元気づけながら、なんとか日記を書いていくと、不調の原因をひとまずどこかに見つけてそれっぽく治めたくなったようだ。大きな出来事は、もちろんそれ自体が感情を揺さぶるのだが、それ以上に特に理由の判然としない情動を事後的に理由づける強烈な引力を持ってもいる。安易に時代や事件やバズワードに自分の物語を預けてしまうと、あっという間に陳腐で空虚ななにかに陥ってしまう。本来、個人のコンディションというのは非常に些細で、情けなく、不合理なものだ。無理に意味づけすぎないように気をつけましょうね。