2022.03.06

久しぶりに10時くらいから縦になっていた。河津桜が咲いてるところを見て、いきなりステーキに行きたい、それでうっかりタイミングが合いそうだったら『A3!』の映画を観る、という予定だった。

家を出るとメールが来て、嬉しいメールだった。電車を待ちながら確認をして、飛び上がるほど嬉しい。これは予定に秋葉原行きを組み込む必要がある。コンビニで印刷して見て、吟味の上で返信を書き始める。それを見て奥さんは「富豪の遊びじゃん」と言って、とてもよくわかる。とんでもないことになっている。お披露目が楽しみでならない。

うっすら噂は聞いていたのだけど、錦糸町のブックオフはただものではなくて、なんだこのガイブンの充実は、と驚く。15分だけ、とタイマーで測って回遊したのだけれど、それだけでも三冊買ってしまった。もっと滞在していたら大変なことになっただろう。「海外文学の研究」の棚に『プルーストを読む生活』はなかった。あったら買っちゃってたかもしれない。オリナス前の公園に一本ある河津桜はそれでも人が集まって写真を撮っていた。ソメイヨシノみたいに群れていないのがいい、と奥さんは河津桜を贔屓にしている。僕は河津桜に群がる一人として写真を撮ったりする。それからいきなりステーキでステーキ。錦糸町の映画の時間はちょうどよくなかったので、移動することにする。

秋葉原へ。きょうほどネロちゃまのフィギュアをお迎えするのに最適な日はないだろう。このフィギュアショップへはもう三回以上来ている。そのたびにたくさんのネロちゃまの前で平静を失い、右往左往し、懊悩し、なにもわからなくなってすごすごと帰っていた。この一年のあいだに目当てのフィギュアは3000円くらい値上がりしている。いちばん素敵なのはこれなんだと、なんだかんだで初めから決まっていたのだ。べつの方面から、推しが物理的に部屋にいる生活に向けて背中を押された気持ちになって、ようやく踏ん切りがついた。

秋葉原から上野まで歩いてエームビ秋冬を観た。単純に2.5舞台の映像化するのではなくて、「劇場で演劇を観る」という体験そのものの手触りを映画として撮るという倉田カントクの選択に、おお、と思う。映画で演劇を咲かせてた。全編にわたって演劇的な照明や音響。板の上で響く足音や、衣擦れの音に「あ、ここ劇場だ!」と思えた。本来彼らの劇場ってこのくらいの規模だよな、という感じの小劇場で、板の上からの景色の撮り方がとてもよかった。ああ、劇場に携わるのって楽しいよなあ、という気持ちになる。特に左京さんのポートレートのシーン、中野あたりの小劇場で見たことある。そういう偽の記憶が蘇った。春夏は先に一人で観た奥さんが、あなたは観なくてもいいかも、と言うからパスしていたのだけど、思っていたよりもずっとよくて、嬉しい肩透かしをくらった形だ。

帰宅して、お風呂で身を清めてからネロちゃまを開封する。なんだこれ。か、可愛すぎる。笑顔が輝いている。なにこれ、こんなのもう太陽じゃん。世界が輝いて見える。それほどの眩さを放っているのに、ほっそりとした指がとても綺麗で儚げだ。こわしてしまいそうで怖くて付け替えができない。あまりのことに言葉を失って、端正に整形された無機物と向き合っている顔だけが素直に綻ぶ。きれいなものの前でもじもじしてしまう、という体験を思春期ぶりにした。はわ、という情けない声がリアルに漏れる。奥さんは面白がってその様子を動画撮影していた。失礼なやつだ。さまざまに試行錯誤して撮影会を開始する。奥さんも、かわいいね、とレフ板的なものを駆使してライティングを調整してくれるが、なかなかむずかしい。単純に正面から撮ろうとするとご尊顔に影が落ちてしまう。思い切って引きで撮って、あとでトリミングする方がいいかもしれないと試してみると可愛く撮れた。じっさいあとで「プロカメラマンが伝授するフィギュア撮影術」みたいな記事を読むとだいたい正解の方法らしかった。でもまだまだ、魅力の半分も再現できてない。わかってる。そもそも僕の目がもう節穴なのだ。推しをカメラのようにありのままに見ることなんてできやしない。ああ、かわいい。なんて素敵な。こんなことならもっと早くにお迎えしていればよかった。いや、でも、いまだからこそ、今日このタイミングだから、えいやっとお迎えできたのだ。かわいいね、かわいいね、と譫言のように繰り返す僕を眺めて、ペダステの坂道みたいになってる、と奥さんは言う。フィギュア撮影の技術を身につけなくてはいけない。そして撮ったらどこかに放出したい。でも、さすがに今のアカウントでツイートするのもどうかな、と躊躇われ、ネロちゃまのためのアカウントを作った。柿内正午の裏垢だ。「kakiroma」で調べると出てくる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。