この石鹸歌劇を美辞麗句の吐瀉で塗り込めそうになる。
全編にわたって衒学的な文飾が施されただいぶ気色の悪い短編小説にこのような表現があって、中学生のころ友人に貸してもらって読んでいたようなライトノベルの饒舌さを思い出していた。桜庭一樹を思い出す。小説のジャンル分けって案外いいかげんなんだな、というのを初めて意識したのはそのあたりだったかもしれない。それはともかく、いま描かれつつある過去に宛てて書きつつ、書くことでその過去を読む誰かの前に現前するものとして蘇らせようという構造は、この作家の特徴だったりするんだろうか。『旅する練習』を読んで、かなりよかったので他の作品も読んでみようと思ったのだが、技巧の部分についてはこの時点でだいぶ出来上がっているんだなあなどと、なんだか楽屋裏みたいなものとして読んでしまった気がする。ラーメンズの「条例」も思い出す。年上のお姉さんへの幻想。
だらだらと定まらないまま小説をザッピングしていて、結局まともに読んだのは短編二篇。夕方にはうとうとして二時間ほど昼寝してしまった。のんびりしていてよい。
寝る前、なにか娯楽性の高いものを摂取したいというと二人でエーステの全員集合ライブの映像を観る。カメラの割り方がずいぶん集中力を削ぐが、お祭りみたいで楽しい。シャッフル公演の演技がみんな楽しそうで、本家よりこっちのほうがよくない? と思う。二〇二〇年の映像のなか、出演者は顎にフェイスシールドをつけていて、当時の混乱や不安がそのまま具現化したようなその奇妙な装置に対して、今の僕はすでに違和感を抱いている。この二年半ほどの時間で、随分と人の感覚の移ろいの速度について敏感になった気がする。