雨なんか好きなわけないんだけど、土砂降りだとはしゃいでしまう。長靴を履いて、わざと水たまりをはねかす。子供のころからずっと水たまりが好きだったことに長靴を買って思い出した。革靴やスニーカーを履いていると水たまりは最低だった。幼稚園に通っていたころ、園の前の車道でトラックがビャッとはねた水が僕の身長よりも高い波になって、びしょぬれになった。あの驚きと楽しさ。でも、トラックは好きではない。ただ水がビャッとはねるのが楽しかっただけだ。声や体の大きい人が苦手だから車も嫌い。あいつ態度がでかい。なんなの。
図書館で順番が回ってきたから『N/A』を読む。受賞作を熱心に追っているわけでもないのだけれど、毎回のように文字の少なさにびっくりする。行き帰りの電車でじゅうぶん読めてしまうし、なんならもう一冊持っていないと間に合わない。奥さんを「奥さん」と呼ぶことについて久しぶりに考えていた。一種の冗談のようにして役割をそのまま愛称にしてしまうこと。それは、どうしてもお互いの名前を呼び合う気恥ずかしさや、名前という個人の識別のために割り振られたただの名詞がまるでこの自己の固有性を言い尽くしているかのような顔をしていることへの違和感などから来るものだ。ふたりで遊びはんぶん選んだ陳腐で古臭い役割の名前を誤用するほうが、僕の隣にいることの人の言い尽くせないかけがえのなさを滲ませる。そのようなこと。
風も雨もどんどんすごくて、楽しみにしていた約束をリスケした。楽しみにしていたからずるずると退勤時間まで引っ張ってしまって、もうすこし早めに判断しておけば相手に無駄足を踏ませずに済んだかもしれなかった。ちぇっ。
