2023.06.20

奥さんがイヤホンをしながら作業をしていて、時折ふふふと笑う。今日は誰の配信を見ているんだろうなと思っていると、スタンダードブックストアでのスズキナオさんとのトークの録音を聞いてくれていたらしい。録音をしておくと過去の自分が現在の自分よりも奥さんを面白がらせているということがよくある。僕もせいぜい僕を楽しませ給えよという気持ちでじぶんの日記を読み返したりする。きのうの日記を読むと体感としては空疎であった一日にのくせしてなんだか色々と生活をやっている感じがして妙だ。きのうの虚無はほとんどFGOで埋め尽くされており、きょうはそうやってスマホが追いやりがちな空隙を『チェヴェングール』が際限なく拡張していった。週末の読書会に向けて断続的に読み進め、二週間くらいだったろうか。楽しい時間だった。どのように読んでいけばいいかを把握するために注意深く、しかし現在地や足がかりもよくわからないままとりあえず前に進まされるようにして読んでいく、そのような小説の序盤の読み方を、最後の最後まで強いられる希有な体験だった。放浪の話のはずなのに奇妙なほどに移動の描写が極端に乏しく、方向感覚も距離もあやふやである。視点も時制もあっさりと何度も覆り、混線する。そんななか、誰もが手探りで共産主義を探している。それはどうやら歴史の終わりにふさわしい永遠の安定を意味するらしく、よくもわるくもない停滞こそが目指されているはずなのだが、この小説はたしかに移動や運動の描写はとにかくふわふわで、ひとところに止まったときにこそ活き活きとする。ひとたび停滞してしまうと、むしろその地点での蠢きが騒がしくなる。それは活気のある騒がしさではない。眠れぬ夜の、鼓膜の内側でうるさい自身の血流のようなそれである。

夕食の買い出しをして、今晩は豚しゃぶ。練りごまのふるくなったのがあるので容器の中に直接ごま油、砂糖、マヨネーズ、醤油、酢をぶち込んでかき混ぜてタレを作る。熱湯に豚をぽんぽこ入れては塩をふった氷水に浸けたザルにあげる。キャベツを手でちぎって顆粒の鶏ガラを入れて沸かした鍋に入れていき、ツナ缶、溶き卵をちゃっと入れる。リズムよくキッチンを散らかしていたら卵にひびを入れたあと、生ゴミを捨てるビニル袋に向かって卵を落とし、ボウルに殻を放り込んでいた。悲しみ。一人暮らしの時は料理は生命維持のために仕方なく行う労働であり、かなり鬱陶しいタスクだった。だからいまでもどうしてもスピードスターを目指してしまうきらいがある。慌てずていねいに。がんばりましょう。舞茸も食べたくなったので葱と一緒にバター醤油で炒める。きゅうりを切って敷いた皿に水気を切った豚を山盛りにして食卓に出す。料理は名詞も動詞もたくさんあって楽しい。書くのは。いや、書くと思えば行為も楽しいか。お皿は奥さんが洗ってくれる。作ってもらったほうが洗うようになんとなくなっているが、きょうの僕はだいぶ散らかしてしまったのですこし申し訳なかった。

お風呂に入って、寝るまでゼルダ。ゼルダの前にちゃんと歯磨きや薬や日記も済ませておけば安心だった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。