休日なので満足するまで寝る。コーヒーを淹れて見田宗介の五冊目の定本を読み終える。午前中に外に出て、クリックポストを投函する。図書館に行って、本屋でヒロアカと阿賀沢紅茶先生の二冊──先月買い忘れていたのでほんとうは三冊──を買って、夕食の買い出しも済ませてしまう。来年の企画に向けた進行表や目次案をつくって共有することまでして、あまりに大活躍の午前中。もしかして、本を読まないでいるとその時間にかなりのことができるのかもしれない。お昼はトマトとチーズの素麺。奥さんの教えてくれたもので、おいしくできた。自分でも作れる味が増えていくのはうれしいし頼もしい。
午後はのんびり本を読んでいた。京極夏彦『地獄の楽しみ方』をさらさら読んで、明快で気持ちがいい、シラスの対談も面白かったなあと思い出す。その対談相手だった小川哲の小説も読んでみたくなって借りてきたのでだいたいそれを読んでいた。満洲のやつとクイズのやつは予約が二〇〇以上で、買った方が早い。小説が読まれなくなったというのはだいぶ嘘で、こんなにも読みたがっている人がいる。ふだん誰も予約していない人文書を延長や再貸出を重ねて二ヶ月くらい手放さないような図書館の使い方をしていると、小説の借りにくさに驚く。小説は順番待ちしてでも読みたいものなのだ。いや、順番待ちしてでも数千円を払いたくないもの、ともいえるのかもしれないが。重苦しい一章にこれは楽しくなるだろうかと不安だったが、二章ではセックスに思想を持ち込む叔父や、輪ゴムに仏教の真理を透かし見る少年や、十三年沈黙を守り抜いた男の声音など、キレキレのギャグが連発されるので愉快だ。まだ何がしたいのか見えてこないが、京極夏彦も下巻からがいいと言っていたからしばらく付き合ってみよう。
夕食は白ごはん.com のレシピでぶり大根。ただすけのことはイデアただすけと呼ぶことにしている。ただすけのいうことをきくとその料理の名を聞いてぼんやり思い浮かべる味そのものというように出来上がる。味のイデアがそのまま現出するかのようだからイデアただすけだ。イデアただすけの味は清潔な観念そのものだからたしかに美味しいのだがあまりに雑味がなく、面白くはない。おもしろおかしい毎日のためには、観念は生活や身体や物質の偶然に汚れなければならない。ただすけはそういうことを教えてくれる。なめこと豆腐の味噌汁もつくる。これはてきとうにつくった。
Switchでクラウド版を買った「キングダムハーツ」はひどい操作性で遊べたものではなく、埃を被ったプレステ2を引っ張り出してきて遊び直すことにした。まだ動く。三色コードの存在や、コントローラが有線であることに新鮮な気持ちで驚く。僕たちはいつのまにか未来に生きているのだ。未来のテレビの画面は画角も画素もプレステ2にはオーバースペックで、映し出される画面は妙にぼんやりしている。これはテレビの能力の変化だけに限らず、あんなにもクリアでリアルな映像だと驚かされた世界は、あんがい元からこんなものだったのかもしれない。さくさく動くので楽しい。もう二度とSwitchで他企業の過去作移植版を買うことはないだろう。セールだったからまだいいものの、まったくいやな勉強代だ。