2024.08.17

現在のエゴサの呪文はTwitterの場合「”柿内”| “プルーストを読む生活” | “あまり読めない日々” | “会社員の哲学” | “町でいちばんの素人” | “雑談・オブ・ザ・デッド” | “差異と重複” | “ポイエティーク” | ”ポイエティークラジオ” | ”akamimi.shop”| ”エッセイという演技”|”ベイブ論”|”二人のデカメロン”|”2.5次元舞台を見る目をつくるために” -(from:kakisiesta)」なのだが、広告を嫌い、ブロッカーの入っているArc ブラウザで閲覧するようになってからブロック済みのあらゆる「柿内」名義のユーザーが表示されるようになってしまいすこし不便だった。書籍編集者やミュージシャンはまだいいのだけれど、ひたすらAI でポルノ絵を生成するアカウントや、エロアカウントにリプライを送っているアカウントがあり、げんなりする。そこでますますSNS を見なくなって、結果的にはずいぶんと時間に余裕ができたというか、無聊を慰める方法が多彩になってきた感じがあってよい。

できることならお客じゃなくてホストの側にいたいというのが、自分の行動原理なような気がしてきた。もてなされるよりもてなすほうが気が楽、というのもあるけれど、なにより主体の問題なのだと思う。客人でなく主人であること。このようなことを考えるのはパーティーにお呼ばれしているからで、そこまで畏まったものでもないのだけれど、華やいだ気持ちにはなり、しかし会場をめかし込んだり、あれこれと幹事する側の楽しさを想像すると、そちらに行きたいなと思う自分に気がつくからだ。場をつくり、そこに息が吹き込まれるさまを見るのはなによりの楽しさだ。

パーティーは愉快で、終電近くまでお邪魔する。面白い話をいろいろ聞いたような気がするが、だいたいふわふわしている。

酔っ払いしかいない終電で漏れ聞こえてくる知らない人の悪口が好き。悪口を言ってる人の、尊大な口ぶりで糊塗された自信のなさが、端々からちらっと見えてしまう感じがかわいい。誰かへの悪口を共有することで仲良くなるの、見せかけの傲慢さに反して、実はお互いの柔らかいところを仄めかすようにして開示しているわけで、非常にセクシーなコミュニケーションだと思う。そんなものを電車内で公然と行なっていることのすごさ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。