帰納は久しぶりに腑付けを肥えないうちに執心
もとい、きのうは久しぶりに日付を越えないうちに就寝できた。それで目覚めは悪くなく、でもドーナツを食べたらやっぱり具合が悪くなる。そのうち雨がざばざば降り出す。きょうはふたりとも外出の用事があるから絶望の顔を見合わせた。強く生きていこう。先日友人宅に長傘を忘れてきてしまったから貧相なビニル傘を使う。晴れていてもどうせ湿気はひどいので、陽射しがないぶん熱さが和らぎましだとも言えた。
労働後、カレーを食べてから「神秘・詩的言語・肉体性:スタッフ・来世生誕祭」を聴きにいく。思った以上に若めかつ門外漢が多めな客層で、かなり丁寧に基礎的なところを学び直せる機会だった。以下は聴きながら再来月に来世さんと企画しているイベントに向けて考えたこと。
僕は近年の書き物では、テキストとして立ち現れる「私」と、固有の肉体を持つなんともいえんこの〈私〉を区別して表記している。今日はなされていた「象徴」というのが「私」に、「魂」が〈私〉に対応するなあと思う。前者の対は記号の体系であり、ソシュール以来のそれは自閉的なもの(神やイデアとは関係なく恣意的に実現しているもの)という前提で分析が洗練されてきたという理解。
では「私」がアンチ肉体で、〈私〉が肉体なのかというと、むしろ自体は逆なのでは、というのが再来月のイベントに向けて考えたい観点だと思えた。
僕は新カント派についてはあんまわかってないけど、言及されていたカッシーラーにとって象徴という発想は、カントのいう超越論的なもの=人間の経験を可能にする原理みたいなものを、象徴の操作という形で創造的なものとして考えるためのものっぽいな、と感じる。象徴の創造可能性をいうカッシーラーは、いつか死ぬ人間の有限性のほうに力点を置くハイデッガーとの論争(ダヴォス討論)があったわけだけれど、この論争において、カッシーラーは構造主義(すべては体系によって規定されている)であり、ハイデッガーはポスト構造主義に属するという見立てがある。つまり、ハイデッガー側は「おれたち肉体を持ってる不完全で有限な存在が、構造なんかに完全に規定されてるわけないじゃん(説明書もちゃんと読めないし)」みたいな方向で静的な構造というイメージを揺さぶろうとしてる。
僕はこれまで明らかに「私」を成立させる構造から漏れ出る〈私〉を志向するポスト構造主義のほうに共感を持っていたけれど、ハイデッガーはマッチョで無理だった。それは構造主義とポスト構造主義の対立とは別で、肉体の有限性が肯定する決断主義みたいなものへの忌避感だっただろう。つまり、〈私〉の「魂」をアリバイにして、結局は説明書も読まない不合理な「私」を都合よく肯定することしかハイデッガーはしてないじゃん、と思っている。
一方で、カッシーラーはたしかに構造主義に通じる文脈にありつつ、構造を象徴として操作可能なものとすることで、いまこことは別の形になることへの可能性を開いているとも言えそう。この点でアンチ肉体派と親和的であり、構造を静的なものではなく、動的に捉えている点ではかなりポスト構造主義に接近してるともいえそう。ハイデッガーの肉体由来の動性よりも、僕にはこちらの方が好ましい。
僕が最近いちどちゃんとモダンに帰るべきかも、と考えているのは、構造の不完全さを不良ぶって揚げ足取る前に、構造のちゃんとしているところをもっとちゃんとしたいということなのかもしれない。
きょう来世さんが話していた「魂」(イデアでも神秘的なものでもいいのかも)へのアクセスは、〈私〉と直結しているものとして考えるよりも、「私」という「象徴」をこねくりまわす制作によって接近可能なものであるという世界観で僕は生きている。制作とは、この肉体ではない別の形を実現することであり、たとえば詩集の造本が実現する「私」は、ふだんの言語環境における「私」とは異質な「私」であり、すこしだけ「魂」へと近づいている「私」かもしれず、そのような「私」が〈私〉の形をも変えていく。このような制作されることで立ち現れる異質な「私」を「象徴」と呼んでもいいのかもしれない。制作されるのは象徴であって肉体ではない。象徴によって肉体も変わるのであってその逆ではない。これがわりあい自分の関心や論理の前提としてある発想だ。
象徴が魂やイデアと完全に一致することはないけれど、なるべく一致するように頑張り続けるというのが制作者としての態度なのかも? プラトン主義者の来世さんとしてはぬるいこと言ってないで実現するんだよ、という感じなのだろうか。
おおむねこのようなことを、帰りの電車で質問なんかを連ねつつ箇条書きで書いて来世さんに送りつけた。奇行。
奥さんは会社の飲み会で、帰れないかも、と連絡してくる。やきもきしつつ待っていると、親切な後輩に介抱されつつ最寄りまでは辿り着いたらしく、安心してうとうとしていたら階下で大きな音がする。帰って来れたんだなととうとう寝落ちて、ハッと目覚めるとまだいない。階段を降りると階段の手すりのあいだからルドンが怪訝な顔で見下ろす廊下にスカートだけ脱いだ人体が大の字で寝転がっており両足がくの字に曲がっているのも不気味だ。えへへ、と呻いているので、助け起こしてやるとすぐに後ろ向きに倒れがしゃんと大きな音を立ててガラス戸に頭をぶつける。二時を回っていた。
