2026.07.22

『今夜ヴァンパイアになる前に』を読み始める。まず思考実験として、ヴァンパイアになることを、すでにヴァンパイアになっている周囲の友人たちに薦められているとき、自身も不死でエレガントな存在になることをいかにして合理的に判断できるだろうか、という問いから始まる。つまり、自分自身を不可逆に変えてしまうような経験をどのように決断するのか。

旅行先のタイでの朝食に、食べ慣れたパイナップルを選ぶのか、未知のドリアンを選ぶのかという意思決定について考えてみる。たしかに食べたことないもの食べてみるというのは認識の冒険ではあるだろう。ドリアンを知らない自分から、ドリアンを知っている自分になる。けれども、ドリアン経験では、認識についての選好をもち価値判断する個人のありようまでは変わらないだろう。

認識と個人の両方が変わってしまうような変容的な経験というものがあり、これはかなり厄介なのだ。なにせ、経験を経て変わってみるまで、その経験が自分にとってどのようなものであるのか、さっぱりわからないからだ。ヴァンパイアになるまで、じっさいのところヴァンパイアの食習慣、太陽への拒否反応、生き血への欲動などがどんなものでありえるのかわからないように。そんななか、人はいかにして合理的な意思決定が下せるというのだろう。

認識と個人とがいっぺんに変わってしまうような経験に対する意思決定。できれば合理的に選択したい。変容的な経験において、やってみなければわからない、というのは結果の話だけではない。経験の後、結果を判断する自分自身がどのように変わっているのかさえわからないのだ。ドリアンへの未知は、別の果物の既知の経験と照らし合わせればある程度どうにかなる判断だ。けれども、ヴァンパイアへの変容のような、自己そのものを不可逆に変容させるようなものについてはどうだろう。そのような変容の前後では、価値判断する自分自身が変容してしまっているのだから、前後を比較して検討するということじたい成立しない。

今の自分の選好と、今の自分はもっていない選好とを比較衡量することはできない。変容によって、秤そのものがちがってしまうわけだから。あまりにありふれた難問を、合理性をぎりぎりまで手放さないまま書き進めていく。ルドンを迎える時、家を買う時、結婚するとき、そこに合理的な判断はあっただろうか。変容に対する軽薄さは、年々失われているような気もする。プルーストのあたらしい習慣への抵抗と馴化を思い出している。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。