7/10のNHK AM「高橋源一郎の飛ぶ教室」1コマ目の本は柿内正午さんの『プルーストを読む生活』だったのですが、とても良かった。
『プルーストを読む生活』を「この本はプルーストを読むだけの本なのですが」とか紹介されると「本当に読んでるのかな?」と思いがちなんですけど、やはり高橋源一郎先生はちゃんと読んで真っ当な感想を色々仰ってて、そのことだけで結構感動してしまった。
その前の「何かの初学者になるには1000時間要る/あればいい」話も、久しぶりにその話を聞いたのだけどとても良かった。先生は獄中でロシア語を1000時間。本を少し読み出すと、昔の人は歴史の本などを読むには獄中に限るとよく書いてあって、しかし我々学生時代がミレニアム前後の少数派は、なかなかそういう学生運動で捕まる世代でも無かったために、私はある日自分でセルフ模範囚になることを決断するしか無かった。
その前に勤労しつつ読む時代もあったのですが、平日働いて本読んでも語学勉強してもめちゃ頑張って4~5時間なんですよね。土日10ずついったとて。そして仕事には人間関係がいい意味でもどうしても付随してきてしまうのでそこからはさらに減ります。いけて月100〜120くらい。1000時間には大体1年ですよ。これが人間関係をほぼ絶って仕事してないと、100日でいけちゃうわけですよ。およそ3〜4倍ペース。私は昔前者をやってみて、どうにもならんなと後者を選んで、気が済んだところで前者を理想とするスタイルに再度切り替えて。今は仕事をするということが広い意味での読書にもなりつつあり、もはや混沌とはしているのですが。
まあ、そういう二つのスタイルがあると思っているのですが、この1冊はやはり前者のスタイルの生活者の記録としていまだ輝いているので、6年経っても取り上げられたのだと思います。知らなかった方や興味を持った方は今からぜひ!
本当は新刊を紹介しようと思ったのですが、前段が長くなってしまったので新刊紹介はまた今度。
https://www.instagram.com/p/DbQH1aHJY5L/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==
先日の高橋源一郎のラジオを通じて改めて励まされた気持ちが、YATOの佐々木さんのこのテキストでさらに強められた感がある。もっと読まなくっちゃなあ。悲壮感や義務感ではなく、ただただ楽しさとしてそう思う。今日の録音で奥さんと話しているときにも思ったけれど、ばかでいる勇敢さというか、魂と釣り合いが取れる等身大でありつづける喜しさのほうを選び取るために必要な勇気を持ち続けていたい。
《「この本はプルーストを読むだけの本なのですが」とか紹介されると「本当に読んでるのかな?」と思いがちなんですけど》というところで大笑いした。そうなんだよね。佐々木さんはお会いした時も、この本はプルーストよりも人文書を読み込んでいるところこそがいいのだと仰ってくれていて、信頼できるなあと嬉しかった。一千時間の話も、こうしてみると現実的には三年くらいはかかるわけで、プルーストの頃からいままででよくて三セットしかできないわけだ。じっさいにやれたのは二セット、いや一セットプラス三分の一くらいだろう。いちど百日くらい引きこもりたい欲も湧いてくるけれど、僕の場合そこでとことん読み続けるという根気もなさそうだから、結果的にいまのようなスタイルで読み続けるほかないようにも思う。
自分のつくるものが大したことないことは自分でよくわかっているけれど、自分が日々やっている読み書き自体はそう容易に真似できるものではないだろうとも思っている。最新のものを追いかけるとか、時流にぶつけるべき索引を豊富に持っているとか、そういう有用さとはまったく無縁の場所で、ただ毎日を楽しくするためだけに読み書き続ける困難を覚えたこの数年で、よりいっそう『プルーストを読む生活』のころの自らの剣呑な呑気さの凄みに驚いたりもするのだが、ようやく僕もこの呑気さに剣呑さを感じてしまう程度の見識が身についたのかと呆れもするし、そのうえでやはりこのころの呑気さはいつまででも見習うべきものだなと思う。ばかがばかじゃないふりしても仕方がない。にこにこ楽しく読んで書く。それでいいのだといつまでもへらへら言ってのけること。そういう野蛮さへとここにきて回帰していくところが最近はあり、そのことを頼もしく思う。
