昨日一日は読まずにおいた『空海』を再開。魚川も安藤もアルファにしてオメガって言いたがるけど、そこは阿にして吽じゃないんだろうか。ともかく、最澄が登場。両者が対比的に語られることで見通しが立ちやすくなる。
最澄は超越を求め、未来に実現されるべき理念としての身体にして理念としての共同休の確立を目指した。空海は内在を求め、現在にとどまり続ける自然としての身体にして自然としての共同体の確立を目指した。しかしながら、最澄も空海も、つまりはそれぞれが求めた超越においても内在においても、その基盤となるものを有限の存在ではなく「無限」の存在に置いた。その点において二人の営為は共振し、交響するものであった。だからこそ、二人の対話が成り立ったのだ。しかし、中観(「空」)と『法華」(天台宗)に依拠し、「止観」(禅と念仏)を方法とした最澄が目指す「無限」の実現は、遠い未来に設定されざるを得なかった。それに対して、唯識(「有」)と『華厳』(華厳宗)に依拠し、「三密」(曼荼羅)を方法とした空海が目指す「無限」の実現は、いまここ、現在そのものとして生起しなければならなかった。未来に仏と成るためには現実の世界を否定し、現実の世界を変革しなければならない。現在に仏と成るためには現実の世界を肯定し、現実の世界を維持しなければならない。最澄による旧仏教の否定とその過激な変革、空海による旧仏教の肯定とその穏当な保守。二人が訣別しなければならなかったのは必然であった。
安藤礼二『空海』(講談社) pp.352-353
おまえら「我」とか言って自分の話しかしてないじゃん、という徳一の批判に対して、最澄は真っ向から反論を試み論争に入るが、空海はむしろそれまでの「顕」と「密」の二項対立を修正し両者の統合をはかっていく。そうして最澄はむしろ空海の論旨に似ていき、空海はそれをさらに脱構築していくことになる。このあたりは読んでいてぼんやりとしか把握していない形にスリリングでわくわくする。
内在をいう徳一と空海は、超越をいう最澄に対して手を繋ぎうるが、五姓各別(こればっかりは才能の問題だから悟れる人も悟れない人もいる)と悉有仏性(みんなのなかに悟りのポテンシャルあるよ)の対立においては空海はむしろ最澄の側にいる。この空海らがよって立つ悉有仏性というのも厄介で、平等性と多様性の緊張関係がちらっと言及される。つまり、空海たちの「一は全、全は一」的な発想には、他性の否定と全体主義への理路が潜んでいる。
それはそれとして、Ryotaさんが『人間関係の構造と手立て』について書いてくれていた。とびきりハッピー。
『人間関係の構造と手立て』、後半に差し掛かってるのですが、わざわざ言葉にするまでもない自明(というふうに言葉にせずみんながなんとなく思っていること)をわざわざ定義して理屈付けて言葉にすることが、状況をつまらなくするのではなく、むしろフレッシュにとらえ直させてくれて、それによっておかしみすらかもし出される、みたいな文章が好きなので(もちろん意識的なユーモアも含んではいるが)、例えば恋愛について”「一緒にいたい」というプロジェクトを共有するふたり”と定義して関係性を描写していく感じとか、単純に楽しい文章なのではないかこれは、という気持ちになってきた
このおかしみはあれかも、新明解国語辞典の語釈とかに近いやつかもhttps://x.com/Funatoku_ryota/status/2082785129777496519?s=20
「理屈っぽい」のがつまらないと思われがちなのって、「理屈」だからじゃなくて「ぽい」からなのでは
https://x.com/Funatoku_ryota/status/2082785985159389391?s=20
自明のことを淡々と書くのに徹したからこそ、これって面白いのか?と不安だったけれど、新明解国語辞典と並べてもらってかなり安心した。そういう面白さだったか。真顔の喜劇役者の方向ね。理屈に徹しようとした本だからこそ、《「理屈っぽい」のがつまらないと思われがちなのって、「理屈」だからじゃなくて「ぽい」からなのでは》というのを最大限の賛辞として受け取っておおはしゃぎした。奥さんに見せびらかそうとスマホを取り出す動作が勢い余って手から飛び出て足元のフットスイッチにぶつかり、連動しているシンクの蛇口から水が噴き出た。
柿内正午『人間関係の構造と手立て』読み終え。おもろい! これはいいですね、元気出る系ですね
https://x.com/Funatoku_ryota/status/2082798996666593361?s=20
柿内正午『人間関係の構造と手立て』、人間関係の話でありつつ、柿内さんの随筆時評での問題意識の設定や、さめない社交の発足へ至る話もあって、ちゃんとやってること全部接続されていて、それらはどういう実践なのかという柿内さんの現状報告にもなっており、「お喋り」と「読み書き」ってあれはコミュニケーションにおいて何が起こっているということなのかという最小単位の話から、一対一の人間関係、恋人、結婚、友情、結社(会社)、社会までの見取り図を本編+オマケもいれて100ページちょいというハンドブックサイズに収めちゃってて、しかも面白い。凄。
https://x.com/Funatoku_ryota/status/2082801580487868892?s=20
Ryotaさんは私家版『プルーストを読む生活』をはじめに見出してくれた一人で、以来本を出すたびしばらくほとんど手応えがないが、かれの感想を読むと途端に「こりゃいいぞ!オラみんな読め!」みたいになる。かれのような「編集者」に活動初期に出会えたのはとても幸運だった。この数年はうじうじしててRyotaさんに「しっかりしなさい!」と叱咤激励してもらっていたので、《元気出る系》と言ってもらえるのがだいぶ嬉しい。
面白かったらまず「面白かった!」っていうの大事よ
https://x.com/Funatoku_ryota/status/2082828783229555157?s=20
批評とかまでいかない感想レベルの話で言えば、このSNSにおいて感想なんてものは大多数の人に向けてバズったりせずとも、エゴサしている制作者・制作陣へ「面白かったっす!サンキューっす!」ということが伝わればいい
それぐらいのことでも、意外とそこから交流が生まれたり、交流までいかなくともなんか嬉しい気分になることがあったりしますよhttps://x.com/Funatoku_ryota/status/2082836199887282664?s=20
まじでそれなー。Ryotaさんのこの善性に何度も励まされるし、僕もそうやってサンキューを配りたい。依頼仕事をこなしている時期はどうにも僻みっぽくなって素直に善性を発揮できないこともあるけれど、やっぱ自分でつくって褒められるとこの心身のなかで優しさが増幅していく感じがあって健康にいいな。雑に貶されるとお前を徹底的に凹ます、と思いかねないのだが、それでもちゃんと読解されている手応えがあればむしろ次作への活力になったりもするから、総じて感想を軽薄に発表するのはいいことだ。みんなもっとそうしよう。
