2026.08.13

日比谷の映画館に向かう道中で構造主義について説明しながら自分について語ろうとしたらうまくいかず気分が塞ぐ。近代的自我を相対化することと解体することの区別がついていないみたいな語り方になってしまい、奥さんにばかだと思われていそう。僕ってこんなだったっけ。ちがうはずだけど、なんか喋っていたらそうでもないような気にもなる。

『ミニオンズ&モンスターズ』を字幕版で。そもそも吹替ばかりかかっているところが多く、日比谷のこの回はけっこうな入りで珍しく前から三列目くらいの席をとることになる。スクリーンがとても大きい。全貌を見渡せないほどで嬉しい。でかいっていいな。オープニングで黎明期まで巻き戻る時間、そこから語り直される映画史にミニオンズが混ざっていく。ここですでに泣く。行きの電車で解体し、見失いかけた実存を素朴に思い出すような経験になったというか、僕って映画が好きなんだよな、そしてそれは、スクリーンがばかでかいという程度のことなんだと思い出せた。今朝の奥さんとのディスコミュニケーションの傷が新鮮だからか、ひとりぼっちの気分が生々しく、ジェームズの集団生活における役立たずっぷりにうっかり共感してしまったから、よく笑うヘンリーが面白がって友達になってくれるシーンでだっばだば涙が落ちる。よかったねえ。スケッチブックを覗き込み、こりゃあすごいやと目を輝かせるヘンリーの顔を見てきらきらと綻ぶジェームズの顔。早く寝ろと叱られて、二秒だけしおらしくして、ふたりで目配せしてくっくと笑う姿。思い出しながら書いているだけでもう涙ぐむ。何かを作るために生活から遊離して、その結果まわりとリズムが合わなくなってしまった時、そのヘンテコなリズムをけらけらと面白がる友達が隣にいることの嬉しさ。ヘンリーはすごい。ゲラだからすごい。よく笑う人は偉大だ。そしてもう一人、周りよりもゆっくりであることでズレてしまい、偶然ジェームズとヘンリーの時間と同期しがちなのがエドだ。エドは耳が聞こえない。騒がしいミニオンズの中でひとり静かな世界におり、もともとおっとりした性格なのもあって忙しないみんなのリズムから置いていかれがちだ。けれどもエドはそれについて悩んでいる様子もない。足元に散らばる落とし物や忘れ物に気を取られ、じっくりそれを吟味しているうちに集団に置いていかれてしまうけれど、ようやく顔を上げた時には変人のふたりがまだそこにいて、手を引いていってくれるから。

ミニオンズは今回ハリウッドに辿り着き、サイレント映画のスターとして一躍時代の寵児となる。ジェームズが自らの才能を存分に発揮して現場を駆け回る、その迸る嬉しさ! けれども、トーキーの誕生とともに、意味不明瞭なミニオン語しか話せないかれらは急転直下の没落する。これはたいへん重要な展開で、つまりミニオンズとはサイレント映画だったのだ。サイレント映画は、英語で言えばdoやhaveに対応する《avoir》が、beに対応する《être》と仲良く隣り合うものである。

サイレントの字幕とは《être》を確定させる記述であり、人々の行為を活写するカットの《avoir》と対等の関係にある。ソクラテスの時代からすでに緊張関係にあった両者を調停しうる可能性をサイレント映画は秘めていたのだ。

《外から中に入れること》として読者を《感化》する字幕の文字。被写体の運動が《中から外に出すこと》=《表現1》をカメラに捉える映像。その仲良しっぷりを、サイレント映画は体現していた。

文字と映像との仲睦まじさは、トーキーの時代に損なわれることになる。かつては上演の側にはオーケストラやバンドの伴奏がパートナーとして寄り添っていたが、トーキーへの移行によって表現と感化のバランスも危ういものになった。音楽はすぐにひとを誘惑つまり感化してしまう。外から中に入り込む文字の《être》を贔屓してしまうだろう。文字として書かれた台詞を上手に読むことができないミニオンズは名声も収入も家も失い、雨に打たれる。雨に歌うこともできない。ミニオンは歌ってこそなのに。かれらの歌いあげるミニオン語が《avoir》に属するものである以上、《être》へと傾き始めたトーキーにとっては不完全なものだから。あまりにも悲しい一連のシーン。

本作でジェームズたちがつくる怪獣映画が、耳の聞こえないエドが構えるカメラだけで撮られた無声映画——そう、これ自体がトーキー(発声)以降のレトロニムである——であることがどれだけ重要なことか。そして上演の際の伴奏がミニオンズバンドであることがどれほど大事なことか。撮影のために召喚される怪物たちは、ミニオンとは違い流暢に人語を使いこなす。だからこそ怪獣たちは策謀し、書かれた筋書きにのっとって動く。退屈に定められた《être》に去勢された予定調和な《avoir》。

『ミニオンズ&モンスターズ』とは、サイレント&トーキーなのである。ミニオン映画がつねにミニオンたちだけのシーンが最高に面白く、人語で喋るキャラクターによってプロットが進行するシーンが全く面白くないという二重性をもっているのは、文字と映像の親密さと緊張関係の二重性であったことが、いよいよ明示されたのだ。ミニオンの勝利とは、サイレント映画の復活であり、それと同時に、文字と映像、《être》と《avoir》の仲直りなのである。無声のエドによって、《être》に囚われかけたジェームズと《avoir》偏重のヘンリーは仲直りできるのだ。タピオカー!!

最高の気分。軽食を摂り、新宿に移動して奥さんの靴を見る。会計前に時間になり先にROCK CAFE LOFTに移動する。日比谷でも新宿でも地下通路でほとんど移動を済ませていたから、そういえば台風の影響をほとんど受けないままできた。楽屋には一番乗りで、みんな揃ったところで一斉に警報が鳴った。かなりの大雨らしい。こんな日に人が来るのだろうか。しかし、かえってこういう日の方がいいイベントになるというジンクスを各所で聞いたことがある。楽屋ですでにおしゃべりは弾み、だいたい表でできそうにもない話で盛り上がる。ニイマリコさんもミニオンが大好きで、その場でごきげんにモノマネを披露してくれるのがいちいちチャーミングだった。贅沢なパフォーマンス。ビールも進んでいたから、開場するころにはすっかり楽しくなっていた。「Keep learning and doing.」が始まる。JUNKYARD1984の結成イベントに、さめない社交をはじめたばかりの鮫君と一緒に行ったのが一年前。こうして壇上でご一緒できることが非常に嬉しい。なんだかやけに楽しく、終始にっこにこと話をしていた。なにを話してもきちんと響くので、頼もしかった。コメカさんと鮫君が成立させようと時間配分や進行に気を遣ってくれるおかげで、ニイマリさんと僕は奔放に話しっぱなしでも大丈夫、みたいなバランスが、両ユニットの近似なのだろうと思われた。最後は吉田仁郎さんのギターに合わせてみんなで『ザ☆ピ〜ス!』を合奏。大団円だった。イベントとしては大満足しつつ、おしゃべりとしてはまったく話し足りないので、おふたりとはまたどこかでご一緒したい。

  1. p.92 ↩︎
柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。