ブックバーひつじがの『雑談・オブ・ザ・デッド』最後の一冊が売れたというツイートを見て、感無量。ほんとうにさっぱり売れなかったこの本の三割いやもしかしたら半分くらいかもしれない、売ってくれたのがひつじがだ。四年前にこの本のために書いた文章が、いま読んでもいい。というか、いまの僕に必要なもので、感心してしまう。そして、この気分はそのまま社交にまで続いているなあとも思う。
批評的な鑑賞の仕方というか、触れた作品について自分で解釈し言葉にするという最高の遊びは、どうしても駆け出しの頃は「正しさ」やトレンドといったものさしを一つだけ持ってきて断罪したりジャッジしたりというやり方に陥りがちです。でも、批評的態度というのは作品に託した自分語りでもありつつも自分よりももっと大きなものに遭遇した時の「なんかわかんないけどすげえ!」という興奮を、丁寧に点検し、共有可能な形に再構成することで、誰かと分け合うことができうるものでもあります。
人懐っこく、どこまでもばらばらな個々人の世界観を見せびらかし合うというあり方の方が、一意に決めた「正しさ」の共同体に集って頑固になることよりも、僕は好みですし、基本的に成熟したやり取りというのはそういうものだと思います。
ゾンビ映画を始めあらゆる映画って基本的に今の「正しさ」のものさしだけで観ると「最悪」以外のなにものでもないものも多いんですが、Ryota さんや僕のように別のものさしを何個も持ってきて、面白がりポイントを探っていく態度は、なんというか、かなり陳腐な言い方ですが、友達を増やします。友達を増やすのって、孤独を保つことと同じくらいに重要で、それは馴れ合うことではなくて、むしろ苛烈にお互いの解釈戦略をぶつけ合うための関係だと考えています。
akamimi.shop/archives/2014
いいこと言うじゃーん! まじそれな。批評って《触れた作品について自分で解釈し言葉にするという最高の遊び》だし、《「なんかわかんないけどすげえ!」という興奮を、丁寧に点検し、共有可能な形に再構成することで、誰かと分け合うことができうる》のって素敵じゃんね。《人懐っこく、どこまでもばらばらな個々人の世界観を見せびらかし合うというあり方の方が、一意に決めた「正しさ」の共同体に集って頑固になることよりも、僕は好みですし、基本的に成熟したやり取りというのはそういうものだと》僕も思うし、これ自分で言ったことにできないかなー、できちゃんだよなーこれが。自分で書いたっぽいし。《別のものさしを何個も持ってきて、面白がりポイントを探っていく態度は、なんというか、かなり陳腐な言い方ですが、友達を増やします》。最高だね。《友達を増やすのって、孤独を保つことと同じくらいに重要で、それは馴れ合うことではなくて、むしろ苛烈にお互いの解釈戦略をぶつけ合うための関係》だっていうのもすごくわかる。そういう関係の人が、いまでは鮫君筆頭に増えてきていて嬉しい。
『ミニオンズ&モンスターズ』のあと、奥さんに涙ぐみながらよかったよかったと語っていたら、あなたはたぶん自分のことを直接語ろうとすると変にねじくれるから、作品を通じて何かを言った方がずっと素直でいいね、というようなことを言われたのも、JUNKYARD1984のおふたりとのおしゃべりが嬉しく楽しいものだったのも、ここにすでに書かれているような話である。というか、僕ってこの文章の翌年に文芸時評を始めたわけだが、まんまと《「正しさ」やトレンドといったものさしを一つだけ持ってきて断罪したりジャッジしたりというやり方に陥りがち》という《駆け出しの頃》の罠に嵌ってたじゃんね。ウケる。さめない社交と『人間関係の構造と手立て』は、じつは『雑談・オブ・ザ・デッド』への回帰であり、『プルーストを読む生活』への回帰であったのかもしれない。無駄な一周だったのかもしれないし、螺旋階段を一周分のぼったのだといいたくもなるが、とにかく巡り巡ったなあという感慨がある。批評が陰湿で嫌味っぽくて友達減らしそうなものであるとされていることは知っているけれど、僕にとってそれはこのくらい素朴で明るいものだったんだよなあ。このばかっぽさを忘れちゃいけない。
