2026.09.03

『博覧狂気の怪物誌』を読み終え、棚から次の本を探し、そういえばこれもバロックの話だっけと手に取った『魔の王が見る』は、先日久保明教がイベント企画のきっかけとして挙げていた円城塔の記事を読んで『大江戸視覚革命』と一緒に買ったのだけれど、なんと後藤の師として『博覧狂気の怪物誌』に偏在し暗躍している高山宏の本だった。そんなことも知らないでいたのかと呆れるが、早速読み出すとなるほど『博覧狂気の怪物誌』はこの本のリメイクであり、《ある分断の危機に対処するため、〈すべて〉を集めながら、集めるほどに自らの認識と範疇化の知力の限界を知っていくというたいへん逆説的な構造》である「バロック的想像力」のリブートなのだなと腑に落ちる。《集めることが分ける/分かることのヒエラルキー的快楽へと精緻化せざるをえない人間理性のまがまがしい進化論的過程》へのスカムな叛逆!

『魔の王が見る』を読むからには僕は『大江戸視覚革命』を併読するのだろうし、であれば隣に挿してある『日本人とリズム感』も合わせたい。さらに四分の一ほど読んだままの『数量化革命』を添えても面白そうだ。後藤の本は『黒人音楽史』もそうだったけれど、アレゴリーではなくアナロジーで、体系ではなく断片で繋いでいくという雑な感覚を活性化させてくれるので元気が出る。

『プロスペローの本』を見る。テキストのレベルではわりあい底本の『テンペスト』に忠実で、しかしもともとスカスカで面白くはない戯曲だからこそ、絢爛な美術、ねちっこい構図、段取りに諾々と従う数百人の全裸の男女という贅沢な視覚表現を堪能できる。枠内枠というか、スクリーンに額縁や鏡や本の背表紙や頁、さらには画面上に透かしで重ねられる別画面など、四角く切り取られた全体の中にさらに四角い枠組みが氾濫し差異と反復がもたらされる楽しさだけで二時間引き込んでくる。これはスクリーンで見てよかったけれど、もっと大きな画面で見れるなら見たい。僕はやはり映画とはとりわけ扇情的なわけでもない平熱のちんちんやおっぱいが見られるものという感覚が強いらしく、椀飯振舞のこの映画はもちろん好き。そろそろ『ガルガンチュアとパンタグリュエル』に本腰を入れて取り組んでもいい頃合いかもしれない。

夕食は奥さん特製の鯛出汁のバスマティライスに大根のアチャール、インディア・ゲート風麻婆豆腐。仕上がりのイメージを入力してGemini に出力させたレシピを用いたとのこと。かなりインディア・ゲートの雰囲気が再現されていて、感嘆。アチャールの酸味が鯛の甘さを引き立て、麻婆豆腐のしびっとした塩気がまた鯛や大根の苦味や旨みを押し上げる。絶妙なバランス。天才なのかもしれない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。